緑のまるまるとしたレモンが木に実っている。「この島の土と気温と、相性がいい」と浅沼浩希さん(46)は手にとってほほえむ。収穫量はまだ少なく、都内の飲食店に直売しているが、「これからもっと増やしていきます」と話す。
伊豆諸島三宅島で生まれた浅沼さんは、1983年、小学1年の時に雄山の噴火を体験した。ゴーゴーとすごい音で昼寝から跳び起きた。「『20年おきに来る』と祖父母から聞いたのはこれだ」と思った。溶岩流はゆっくり広がり、阿古地区の400棟以上の住宅がのみこまれた。ただ人的被害はゼロ。パニックになった記憶はない。「経験が受け継がれて、島民は心構えができている」という。
2000年7月の噴火は東京・渋谷の街角のテレビニュースで見た。日大芸術学部で写真を学んでいた4年の時。実家の商店「正大ストア」も大変だろうと島へ戻った。夏休みも終わり、都心へ戻った後に全島避難になった。父と兄は避難先の渋谷区笹塚で新たに店を構えた。
火山島・三宅に魅せられ移住した人、戻った島民たちは様々な分野で活躍する=中山由美撮影
復興作業が始まって02年…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル