地下街から続く階段をのぼりきって視線を上げる。クリニックの看板は、8階建てのビルに残ったままだ。
人がせわしなく行き交うなか、大阪市西淀川区の男性(31)はビルの前で立ち止まり、手を合わせた。
「先生、僕は前を向いて、頑張っています」
心の中でクリニックの西沢弘太郎院長(当時49)に語り始めた。
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幼い頃から整理整頓が苦手で、物事を先延ばしにする癖があった。勉強は苦手だったが、興味をもてる社会だけは得意だった。
クリニックに通い始めたのは、大学を卒業して就職した後の2016年。職場の同僚と食事を囲んだ時、なぜか人前でご飯が食べられなくなった。
気持ちの問題だろう。そう考え、心療内科を探した。自宅や職場に近く、夜遅くまで診療している西沢院長のクリニックを見つけた。
書類が山積みになった診察室に入ると、西沢院長はいつも落ち着いた表情で、声をかけてくれた。仕事の悩みを伝えてからは、「やれていますか?」との言葉で迎えられた。
発達障害と診断され、同じ悩みを共有する集まりも紹介してもらった。週に1、2回、仕事の帰りに、夜眠れなかった日に、足を運んだ。
予約なしでも受診できたクリニックは、駆け込み寺のような存在だった。
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昨年12月17日も受診予定だったが、クリニックに立ち寄る前の用事が急きょなくなり、直前に予定を変えた。
「通っているクリニックのビル、燃えてるで」
自宅で寝ていると、母親からの電話で起こされた。驚いてテレビをつけると、通い慣れた場所が映し出されていた。
巻き込まれずに助かったという事実の一方、西沢院長をはじめ、亡くなった人たちを思うと何とも言えない気持ちになった。翌日は出社したが、心の整理がつかず、1週間ほど仕事を休んだ。
休んでいる間、テレビや新聞は、事件の背景に、容疑者の男の孤独や生活困窮があると報じていた。
「もし生活保護を受けられていたら、事件は起きなかったかもしれない。同じ悲劇を繰り返さないためにも、人を助ける仕事がしたい」
事件の数カ月前、西沢院長から公務員の道を勧められたことも思い出した。勤務先を辞めるか悩んでいると、障害者枠があって配慮されることや、将来の安定にもつながることを説明してくれた。
その時は、「新しいことに挑戦するのは苦手だし、自分になれるわけない」と聞き流した。だが事件を目の当たりにして、気持ちが変わった。
大阪市の職員採用試験に挑戦…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル