10月末に那覇市の首里城が焼失したことを受け、首里城跡の発掘調査を行うよう求める声が有識者から上がっている。1980年代の発掘調査は不十分で、首里城のルーツは解明されていないからだ。しかし、本格的な発掘調査を行えば再建が遅れることは確実で、世界遺産となっている石垣や土台などの遺構が損なわれる恐れもある。
「首里城は焼けたが、結果的に良い再建につながったということになれば、それに越したことはない」
琉球史に詳しい沖縄県立博物館・美術館の田(だ)名(な)真之館長はこう語る。焼失した北殿、南殿は外観のみを復元したものだったため、新たな資料を基に建物内部も復元するべきだと考える。
今回の焼失を首里城のルーツを解明するための好機ととらえるのは、建築史が専門の伊(い)從(より)勉・京大名誉教授だ。伊從氏は「首里城の遺構を発掘調査するべきだ。首里が成立した時期の手がかりは発掘調査しかない」と語る。
■通説覆す可能性
首里城は尚巴志が王だった1427年に基本的な造営が終わり、琉球の王城はこの時期に現在の浦添市から那覇市首里に移転したというのが通説だ。だが、それ以前の首里にも高楼が建てられていたと考える説もあり、首里城のルーツは正確に分かっていない。
県は1985~86年度に発掘調査を行い、調査結果などを基にして92年に正殿が復元された。発掘調査では年代が特定されていない柱穴も発見されている。県文化財課によると、首里城創建の通説となっている1427年以前のものである可能性もあるという。
とはいえ、前回調査では柱穴の詳細な調査は行われなかった。柱穴の年代を特定するためには、穴を半分に切って断面を調べる「半裁」を行い、発見された陶器などを手がかりにする必要があるという。この過程で石組みなどに損傷を与えてしまう恐れがある。
■世界遺産の危機も
琉球考古学会会長で、沖縄国際大の上原静教授は発掘に否定的だ。「正殿の位置を確認する調査は前回で終わっている。正殿は時代ごとの遺構が折り重なっているので、古い時代の遺構は比較的新しい遺構を壊さないと調査できない」と説明する。発掘調査で遺構を損なえば、世界遺産の登録を外される恐れもある。
発掘するとしても、調査期間は長期にわたることが想定される。正殿遺構には68センチの土がかぶせてあり、遺構を傷つけず土を取り除くには手作業が必要だからだ。多くの県民が「一日も早い再建」を願う状況で理解は得られにくい。
沖縄県の玉城デニー知事は首里城について「うちなーんちゅのアイデンティティーのよりどころ」と表現する。そうであれば、発掘調査による遺構破壊を認めないのは一つの正論だ。
他方、発掘調査を行えば琉球王国の起源をより深く理解する手がかりとなり得る。これから再建される首里城の防火対策に万全を期せば期すほど、首里城の謎は半永久的に謎のままになりかねない。
ルーツ解明か遺構保存か-。ジレンマを解く手段は今のところ見当たらない。県文化財課の浜口寿夫課長は「将来的に遺構を傷つけず調査できる技術が生まれるかもしれない。その時を待つしかない」と語る。
Source : 国内 – Yahoo!ニュース