国際政治学者で前東京都知事の舛添要一氏(70)が「ヒトラーの正体」(小学館、907円)で、独裁者の実態などを分かりやすく解説している。少年時代から自殺するまでを振り返り、ドイツ国民がヒトラーを支持した背景や独裁体制の形成過程などについても分析を加えた。トランプ現象など現代政治の動きとも重ね合わせ、誰にでも手軽に読める入門書だ。インターネット通販「アマゾン」の感想欄でも高評価されている。(久保 阿礼)
終戦から74年。舛添氏は初めて「ヒトラー入門」に挑戦した。ユダヤ人の大虐殺など、第2次世界大戦の独裁者の象徴として語られるヒトラー。テーマは「正しく知ってから恐れよう」だ。ヒトラーの実像とその歴史を正確に知ることは現代の国際政治情勢の理解にも役に立つ、と強調する。
「インターネットのラジオ番組に出演した際、ヒトラーについて語ったところ、多くの反響があり、書籍化をしようとなりました。今までヒトラーについて書かれてきた本を私なりにまとめて、中高生にも面白く読めると思います。現代でもトランプ大統領がその象徴ですが、移民排斥の動きやポピュリズムも広がっています。歴史を学ぶということは、いつの時代も大切なことですね」
当時、最も民主的と言われたワイマール共和国の憲法下で独裁者は誕生した。国民主権や普通選挙、母国語以外の言語も認めているが、ナチスは世界的な恐慌を背景に、失業者対策と社会保障対策を次々と打ち出し大衆の支持を得ていく。
「1部100円の新聞が翌日に7500万円になるみたいなハイパーインフレが続いていた。源泉徴収という考え方はヒトラーが初めて導入しました。確実に税を徴収できる制度ですし、今、フランスも来年1月から導入しようとしています。ドイツでは失業者が約600万人いましたが、1933年にヒトラーが政権を取ると数年後にほぼ完全雇用を達成しました。ヒトラーが第2次大戦前に死んでいたら、ドイツ史上でも優秀な政治家といわれたのではないでしょうか」
ベルリン五輪(1936年)で初めて聖火リレーを導入し、五輪の記録映画を残したのもヒトラーだ。
「アテネでの採火式は敵情視察を兼ねていた、ともいわれています。記録映画も何度も繰り返し、同じ場面を撮ったりして、最高のものを残そうとした。大会期間中はユダヤ人への迫害もやめ、選手団にも入れた。ボランティアの数も、ものすごい人数が集まりました。当時、こんな快適な五輪はないと評価されていましたが、健康増進と言いながら、障害者への差別や迫害を繰り返していました」
舛添氏は国際政治学者、政治家と2つの道を歩んできた。自らも街頭でマイクを握り、有権者に向けて演説した。その経験を踏まえ、ヒトラーの政治宣伝の手法は1章を割いて分析した。
「自身の影響力を最大限に示すため、ヒトラーは演説をする時間帯まで細かく決めていました。『人々が働いて疲れている時こそ、演説は有効だ。内容もいくつも触れてはダメだ』と。例えば『NHKをぶっ壊す』とか、『消費税廃止』みたいに『一つに絞れ』と。日曜日の午前中の演説で失敗して、朝はデマゴギー(デマ)をはねつける力を持っている、と感じたようです。あるオペラ歌手が亡くなった後に、声の出し方などを特訓していたことも分かりました。なるべく小さな声で、ジェスチャーを入れない、とか。演説がうまいといわれた(ヨゼフ)ゲッベルス(宣伝相)もヒトラーにはかなわない。そういえば、私も演説は夕方以降でしたね」
語学習得本の執筆にも意欲を示す舛添氏。「英語・ドイツ語・フランス語・スペイン語・イタリア語・ロシア語」を学び、マスター。6か国語の勉強法について書籍を出したこともある。スマートフォンやネットを通じて、フォロワーという「読者」の反応を見ることが面白いという。
「政治の世界を離れ、私自身、50年前の原点に戻った気持ちです。政治というジャングルの中にいたけど、若い頃に基礎をやっていると、モノになるかな、と今回の本も執筆しました。語学は、私のツイッターを含めスマホでも発信しています。ブログでは、1200字ぐらいを2日に1回発信していますが、読んでくれた方が刺激を受けてくれたらうれしいですね」
◆舛添 要一(ますぞえ・よういち)1948年11月29日、北九州市生まれ。70歳。東大法学部政治学科卒。国際政治学者として、メディアで活躍。99年都知事選で落選したが、2001年参院選で自民党から立候補し初当選。07~09年、厚生労働相。13年12月、猪瀬直樹氏が選挙資金借り入れ問題で辞職。14年1月の都知事選に立候補し、細川護熈元首相らを破り、初当選した。16年6月、政治資金問題で辞職した。
Source : 国内 – Yahoo!ニュース