創業80年を超える千代田区神田神保町の有名餃子店「スヰートポーヅ」が、6月10日までに閉店したことがわかった。閉店の理由は明かされていないが、新型コロナウイルス感染症の感染拡大を受けて休業を続けていた。 【全画像をみる】神保町の有名餃子店「スヰートポーヅ」閉店を惜しむ声。消えゆく老舗で変わる街 閉店の報は10日夕方、同店が位置する神保町の商店街「すずらん通り」にある「本と街の案内所」のTwitter公式アカウントが「本日閉店のお知らせが貼り出されていました」と投稿。Twitterモーメント公式も取り上げて拡散し、悲報がネット上を駆け巡った。 東京・神保町の餃子専門店「スヰートポーヅ」の店頭に閉店のお知らせが貼られていたというツイートが話題になっています 記者は10日午後11時過ぎ、「スヰートポーヅ」の入り口に閉店の張り紙が張り出されていることを確認した。 張り紙には、マジックペンによる肉筆でメッセージが書かれていた。 お客様各位閉店のお知らせ長い間のご愛顧誠にありがとうございました。厚く御礼申し上げます店主 店主名による肉筆のメッセージは簡潔ながら、これまで店を愛したファンに感謝を伝えるものだった。
店の歴史は戦前から。神保町でも屈指の人気店
「スヰートポーヅ」はグルメ激戦区の神保町でも人気店の一つ。昭和レトロの情緒漂う店構えが目印だった。 30席ほどの狭い店内は名物の餃子と天津包子(肉まん)を目当てにやってきた客で満席になることもしばしば。特に、天津包子は閉店前によく売り切れていた。 店内の由来説明によると「スヰートポーヅ」とは「おいしい包子」の意味で、店の歴史は戦前に遡る。 初代は1932(昭和7)年から中国で天津包子と餃子の作り方を修業し、1936~37年頃に旧満州の玄関口だった大連で餃子店を開業。後に帰国し、終戦まで食堂「満州」の名で営業したという。 終戦から10年が経った1955年、大連時代の店名「スヰートポーヅ」で当地にて営業を再開。「本の街」「学生街」として発展した神保町の人々の胃袋を満たし続けてきた。
Source : 国内 – Yahoo!ニュース