神戸・三宮の地下街にあるラジオ関西(神戸市中央区)のサテライトスタジオが、三宮の再整備事業にともない3月末で半世紀余りの歴史に幕を下ろす。旬の曲を発信するだけでなく、震災を乗り越えた街の歩みを見届けてきた「サテスタ」に、別れを惜しむ声が上がっている。
日曜の正午過ぎ、買い物客らでにぎわう地下街「さんちか」の一角で、ガラス張りのブースに「ON AIR」の赤色灯がともる。「こんにちは、今日もさんちかサテスタより生放送でお送りします」
ラジオ関西が毎週生放送している「さんちかサテスタサンデー」。地元・神戸の話題とともに、1970~80年代の懐かしの洋楽を届ける25分番組だ。2月27日の放送では、三宮駅や市役所を結ぶ大通り「フラワーロード」の歴史に触れながら、フリオ・イグレシアスやクレモンティーヌの爽やかな歌声を届けた。
サテライトスタジオとは
テレビの普及した60年代、ラジオ各局は新たな取り組みを模索していた。その中で生まれたのが、人の集まる百貨店や駅前で公開放送を行うサテライトスタジオだ。
62年、ニッポン放送が東京・新宿の小田急百貨店内に設けたのが国内第1号とされており、収録風景を実際に見てもらうスタイルは全国へと広がった。ライブのような臨場感と、有名人を間近で見られることも人気の要因の一つとなった。
さんちかサテスタの開設は、地下街オープンから2年後の67年。地下街への進出は全国初で、バンドの生演奏ができる広いスペースが特徴だった。当時は連日昼から夕方にかけて、30分または1時間のサテスタ発の番組が3本ほど放送されており、パーソナリティーには落語家の笑福亭仁鶴さんや作家の藤本義一さんらが名を連ねた。
生演奏も特徴の一つ。人気ミュージシャンの出演時などには数百人が集まり、ガラスの壁が熱気で曇るほどだった。おしゃれなショッピングエリアの一角で、「サテスタ前」は若者たちの待ち合わせスポットにもなっていった。
「若手の登竜門のような場所だった」
フォーク歌手のばんばひろふみさん(72)は、「目の前のリスナーの反応や一体感をじかに感じられるのが醍醐味(だいごみ)。毎週のように見に来てくれる方もいて、一丸となって番組を作っている感覚があった」と懐かしむ。
ばんばさんは74年の春から1年間、サテスタでパーソナリティーを担当した。フォークグループ、バンバンの5枚目のシングル「『いちご白書』をもう一度」でブレークするのは翌75年のことだ。
番組では、その前に出した「冬木立(ふゆこだち)」を繰り返し生演奏した。「結果的に冬木立は売れなかったけど、ここで勢いが付いて東京へ勝負に行ってくるという感じだった。いちご白書で売れた後にさんちかで再び生演奏したときは、ものすごい数のお客さんが来てくれてうれしかったですね」
サテスタには連日、アマチュアも含めて数多くの若手ミュージシャンが出演し、「登竜門のような場所でもあった」とばんばさんは言う。「YouTubeはもちろんないし、テレビに出られるのは売れてから。フォークのヒット曲は、ラジオの深夜放送やサテライトの番組から生まれることが多かった」と振り返る。
だが、時代とともに娯楽は多様化した。各地のサテライトスタジオの多くはいま、すでに役割を終えて閉鎖している。その中で、なぜさんちかサテスタは半世紀以上在り続けたのか。
■震災後の人々をつないだ肉声…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル