九州最大の繁華街、福岡市・天神に、厳かな空気に包まれる一角がある。1608年、この地に建立された警固(けご)神社。樹齢300年余の大クスがそびえる境内は、買い物客や観光客の参拝が絶えない。その片隅の神庫には、都市化の波に消えた町々の祭りに繰り出した獅子頭が、ひっそりと眠っている。
今も色あせない漆塗りの獅子頭は12体。町名変更(1964年)前の旧町ごとに、木箱に納められている。その一つ、船町の箱には「慶応三年」(1867年)とある。呉服町は明治42(1909)年に改修、本町は昭和7(1932)年に奉納されていた。
警固神社の氏子区域は福岡市の都心・中央区大名、舞鶴と、天神および大手門の一部。町名変更前はいくつもの町に分かれ、城下町の風情を残す町並みに多くの人々が暮らしていた。そのうち旧7町の夏祭りに登場したのが獅子頭だった。
「ぎゃんぞい、ぎゃんぞい」。子どもたちが獅子頭をかぶって町を練り歩き、地域の安全と無病息災を祈願。「ぎゃんぞい」は御願成就(ごがんじょうじゅ)が変化した掛け声という。だが、各町の祭りは1960年代の初めから次第に姿を消していった。
都市化で氏子区域に住む人が減り、町名変更で町が消滅。祭りの主役の子どもたちがいなくなってしまったのだ。祭りの後に神庫に預けられた6町8体の獅子頭は、そのまま数十年、日の目を見ずに眠っている。
現役の4体守り継ぐ
そんな中で唯一、現役でいるのが、旧紺屋町(現大名1丁目)の4体(2対)の獅子頭だ。途絶えていた「子供獅子祭」を72年、有志たちで復活。今年も7月27日、子どもたちの元気な声が、おしゃれなカフェやブティックが並ぶ通りに響いた。
ただ、祭りの将来は安泰ではない。地元の子どもがかつて通った小学校は児童減で5年前、近隣の小学校と統合した。旧小学校区の子どもたちで祭りを続けているが、最近は祈願で訪れる獅子頭をやんわりと断る店もあるという。
祭りを支えるのは、商店主や古くからの住民で組織する「紺屋町子供獅子祭振興会」。メンバーは祭りを終えた子どもたち一人一人に、袋詰めの菓子を手渡してねぎらう。同振興会の藤川繁昌会長(66)は「町に伝わる祭りを私たちの代で絶やされない。これからも、獅子頭とともに守っていきたい」と話していた。
(手嶋秀剛)
西日本新聞社
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