妻ががんになり、夫で記者である僕に、料理の熱血指導を始めました。妻がブログに公開したイラストとともに、闘病を伴走する日々を紹介します。
僕のコーチはがんの妻 第1話(全16回)
2017年7月、1年間の長期休暇で中米コスタリカを旅している時に、父が急逝した。あわてて帰国して、実家のあるさいたま市のJR大宮駅前でリムジンバスから降りると、妻が迎えに来ていた。
その時、左側の鎖骨のホクロが、旅に出る前よりふくらんでいるのが気になった。父の葬儀を終え一段落したころ、「医者に行こうよ」と勧めた。
7月28日、大阪市の自宅近くの総合病院へ。「イボを切ってすっきりしましょうねぇ」と看護師さんに言われ、「イボやて。病院なら腫瘍(しゅよう)って言うもんやろ?」と妻は軽口をたたいた。
6日後、亡父の戸籍の手続きのため東京にいると、妻からメールが届いた。「イボやなくてメラノーマ(悪性黒色腫)やて。初期ではないって」。ステージ2bだった。
メラノーマって、「巨人の星」の星飛雄馬の恋人がかかった病気では? 新幹線に飛び乗って、スマホで調べる。初期ならば完治の可能性が高いが、進行して転移すると……。父の死を悲しむ気持ちは吹っ飛んだ。「まずい、まずいよ」。新幹線のなかでつぶやきつづけた。
「禁止」ほどいた妻
帰宅すると妻の表情は落ち着いていた。翌日、パートから帰ってきた妻に申し出た。「治療で体調が悪い時、俺が家事をできるように教えてよ。しんどいときイライラしたくないやろ?」
結婚した当初、僕は家事を分担するつもりだった。だが、洗い物は台所に放置し、洗濯物をしわが寄ったままつるす僕に、妻は1カ月でぶち切れた。「家がごちゃごちゃになる。今後一切、家事は禁止や!」
以来、すべておまかせ。
野菜たっぷりの料理をつくってくれ、掃除も毎日してくれる。独身時代十数年間悩まされた冬場のぜんそくは1年で完治した。
だが今回、僕が申し出ると、「ビシビシいくから覚悟やで」と妻は受け入れた。
「まずはこれをつくってみ」。渡されたレシピは「ナスとピーマンと豚肉炒め」。台所に立って、ナスとピーマンを切ろうとしたら「順番がちゃう!」。最初は、ミソと酒と砂糖をまぜて調味液をつくるんだそうだ。材料に火が通ったら最後にこの調味液をかけて仕上げるという。
「まな板が臭くなるから、肉を先に切るな!」「なんやその手つき! ナスより前に指を切るど!」と絶え間なく叱声(しっせい)が飛ぶ。
完成すると「私の言った通りにつくればまずくなるはずがないわな」。
夕食後、フライパンや食器を洗って「作業終了!」と宣言したら、「終了やて?」とにらまれた。あわててシンクを洗おうとすると「先に食器をふかんと、はねた洗剤がつくやろ」「排水口も洗わんとぬるぬるや」。
ごみのたまった排水ネットを捨てて、排水口の内側をスポンジでみがく。今度こそ終わりと思ったら、「まだ! はねてる水をふかんとフローリングにたれるやろ」。
食器をふいたフキンを30秒間電子レンジでチンして、ようやく解放された。
「鬼コーチ」の指導がはじまった。(藤井満)
◇
妻から教わった〈ナスとピーマンと豚肉炒め〉
▽材料(2人前)
・ナス2本
・ピーマン3個
・豚肉100グラム
・ニンニク1かけ
・ショウガ1かけ
・みそ、酒、砂糖各大さじ1
・みりん少々
▽作り方
①みそと酒と砂糖とみりんをよくまぜてペースト状にする。
②ナスは「乱切り」。斜めに切って、切り口を上にしてまた斜めに切って……とくり返す。
③ニンニクとショウガをみじん切りにして炒め、豚肉、ナス、ピーマンを加える。
④ペースト状の調味料を入れて混ぜる。
◇
〈連載を始めるにあたって〉
1990年に朝日新聞に入社。99年に妻の玲子と結婚してからは、一緒に松山や松江、輪島(石川県)、田辺(和歌山県)を巡ってきました。
それぞれの地域の食べ物と酒を楽しみ、「食」についての記事には妻の助言を受けました。輪島時代の連載をまとめた「北陸の海辺自転車紀行 北前船の記憶を求めて」(2016年、あっぷる出版社)という本も、妻が赤鉛筆で何度もチェックしてくれました。
地方を巡る楽しい日々は、病気によって突然終わりました。でも食いしん坊の妻は、どんなに落ち込んでいても台所に向かう。私に料理を教える時は、一挙手一投足を監視し、怒り、「シェフがへたくそでも私が教えた料理だからおいしいね」と自画自賛しながら食べる。料理は2人にとって、病気のことを忘れられるオアシスのようなものになっていきました。
そんな日々を、妻から教わったレシピや、妻がインターネットのブログ「週刊レイザル新聞」に描いたイラストと共につづります。
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル