あの日より前の自分が思い出せない。それくらい俺にとっては大きな出来事だった――。ミュージシャンの細美武士さんは東日本大震災後、東北でライブ活動を続けてきた。音楽を通して東北の人たちと交流し、家族のようなつきあいを重ねてきた。
――被災地で弾き語りライブを始めたきっかけを教えてください
「被災地に歌で、音楽で元気を」みたいなことは、しばらくは考えられなかった。そんなものより、温かい寝床と、おいしい食べ物だろって。だから、震災後しばらくは宮城や岩手の沿岸に赴き、泥かきやがれき撤去、その他のいろんなボランティア活動に参加し続けてきた。
でも、福島に対する印象は少し違っていた。東京電力福島第一原発の事故のあと、その土地にとどまる決断をした人とか、その子どもたちは大きな不安を抱えているように感じた。福島の幼稚園に通う自分の子が、将来差別を受けてしまうんじゃないかと心配するお母さんにも会った。大丈夫なのかなってみんなが思っているところに、俺たちみたいなのがしょっちゅう来てたら、少しは気が紛れるのかなって思って。昔から知り合いだった福島県郡山市のライブハウスのオーナーに「弾き語りをさせてもらえませんか」ってお願いをした。
――ライブはどんな雰囲気でしたか
2008年の活動休止以降、そのときまでELLEGARDEN(エルレガーデン)の曲を演奏したことは一度もなかった。11年の5月に、福島で初めて弾き語りに行った時、今自分にできる最大のことはなにかなと考えた。活動休止中だからとか言っている場合じゃないと感じていたので、みんなが聴きたい曲を歌ってあげられたらいいなと思って。メンバーにも許可をもらって、一人で「Make a Wish」という曲を歌った。歌い出した瞬間に泣き出す人が見えた。俺にもできることがあるかもしれないっていう気持ちになった。
――それ以降、これまで何度も東北でライブを重ねてきました
福島でやっていたら、岩手とか宮城でもやってくれと声をかけられるようになった。とにかく、自分はチンドン屋になろうと思ってやっていた。なんでもいいから笑ってほしい、どんな自分の恥ずかしい話をしてでも笑わせたいって思っていたし。ホームページに送られてきたメッセージで「昔は、きれいごとばっかり歌っていると思っていたけれど、今聴くといい歌だな」って言われたこともあった。何度も行くうちに、だんだんと家族みたいな感じになっていった。ギターを練習してる子が俺の代わりに歌って、俺は客席でみんなとそれを聴いてたりすることもあった。俺のことをたまに遠くから来る親戚のおじちゃんみたいに接してくれるのがうれしかった。
――あれから10年が経ちました。沿岸は復興に向かっていると感じますか
俺はそういう大局観みたいなものはない。でも、初めて会ったときに小学生だった女の子が今では大学生になったりするわけで。そういう人の変化というのかな。何年もかけてつないできた絆みたいなものの変化は、なんとなくわかるんだけど。「復興」という言葉がなんのことを指してるのかは、俺にはよくわからない。
――今後も東北でライブ活動を続けますか
もちろんこれからもライブに行き続けるとは思う。でもそれは活動っていうより里帰りに近い。
例えるなら、長いことあった花壇が、なにかで壊れてしまったとして。直せるところは直せばいい。それでも、完全に元と同じ花壇にはならないかもしれない。ただ、また新しい花が芽吹くように、人と人との新しい絆が生まれていって。小さいかもしれないけれど、何世代もかけてそういう花がいろんなところで咲いて、いつか元の花壇がわからないくらいになったときに、ようやく乗り越えたということになるのかなって思ってる。(聞き手・中山直樹)
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ほそみ・たけし 千葉県出身。ロックバンドELLEGARDEN、the HIATUS、MONOEYESのボーカル。
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル