国内外で広島での被爆体験を証言してきた語り部の岡田恵美子さんが10日、大動脈解離のため死去した。84歳だった。葬儀は近親者のみで行った。喪主は夫の隆さん。
8歳の時、爆心地から2・8キロで被爆。12歳の姉を失った。2000年から、広島市の平和記念資料館の「証言者」として活動。米国など海外でも体験を伝え、15年のノーベル平和賞の授賞式には被爆者代表として招かれた。
「悲しむ人が世界に多いだろう」
今年度も証言者として活動する予定で、9日の委嘱書交付式に出席したばかりだった。ともに参加した小倉桂子さん(83)は「悲しむ人が世界に多いだろうな」と急な別れを惜しむ。
式の後に開かれた証言者の懇談会の終わり間際、岡田さんは、核兵器禁止条約への批准を日本政府に求める署名への協力を呼びかけたという。「核兵器廃絶のためがんばりましょう」との力強い言葉が小倉さんの胸に残った。「行動力のある彼女らしいなと思った」と振り返った。
突然倒れたのは翌10日。世界から訪れる人に被爆体験を聞く機会を提供する「ワールド・フレンドシップ・センター」(広島市)の集まりでのことだった。森下弘名誉理事長(90)は「本当に残念。ショックだった」。20年以上、親交があったというNPO法人「ANT―Hiroshima」(同)理事長で被爆2世の渡部朋子さん(67)もその場にいたという。「最後の最後まで平和のために働かれた」と語る。
銃撃されたマララさんに折り鶴を贈る
パキスタンのノーベル平和賞受賞者、マララ・ユスフザイさんが12年に銃撃された際に折り鶴を贈るなど原爆関係以外の活動も積極的に行ったといい、渡部さんは「悲しみ、つらさを抱えている人に思いを寄せ、自分に何ができるか考えて行動した人」としのんだ。
岡田さんは若い世代とも交流した。広島市在住のシンガー・ソングライターのHIPPY(ヒッピー)さん(40)は岡田さんの証言を聞き、歌をつくった。「血のつながった祖母のようだった。いつも背中を押してくれた」と悲しんだ。「命をかけて、命の尊さを教えてくれた。次の世代に伝えていくことが僕たちの役目」と決意する。(岡田将平、三宅梨紗子)
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル