ショパン国際ピアノコンクールで活躍する一方、ジャズの殿堂「ブルーノート東京」でデビューを果たしたピアニストの角野隼斗(すみの・はやと)さん(26)。飛躍の一年を振り返り、これまでの歩みと自身の現在地に対する思いを率直に語ってくれました。
――クラシック、ジャズ、ポップス、全てのジャンルに関わりながら、いずれのカテゴリーにも属していない、極めてオリジナルな存在です。自由と引き換えに、孤独やしんどさを感じることはないですか。
実は、ショパン・コンクールの時までは考えたこともなかったんです。自分が歩んできた道が「普通じゃない」なんて。
でも、コンクールのあと、それが顕在化してしまった。「二刀流」「異端」などと言われるのは、しょうがないとは思いつつ、正直、違和感がないわけではないです。
――あらためて振り返って、ショパン・コンクールはどういう経験でしたか。
葛藤の連続でした。クラシック以外のいろんな音楽もやってきた分、知らず知らずのうちに、混じってはいけない要素が自分の音楽に混じってしまっているんじゃないかとか、本当に僕がここでショパンを弾いていいのかとか、いろんなことを考えてしまって、怖くて、不安でたまらなかった。頭では、そんなことを考える必要はないってわかってはいるんですけど。
でも一方で、僕は、垣根がないからこそ生まれる音楽をやろうとしている人間です。そんな僕の音楽を、ショパン・コンクールという大きな舞台で、あえて多くの人に聴いてもらいたいという思いもありました。
カテゴリーは意識しない
――わかりやすさを求めてレッテルを貼ろうとする社会から全力で逃げ、カテゴライズされることのない世界を生きるための挑戦を続けている、という感じですね。
僕は、デジタルが当たり前の時代に生まれたせいか、幼い頃からいろんな情報が平等にインプットされているので、もともとカテゴリーというものをあまり意識しないんです。多様性って概念が、当たり前に自分のなかに受け入れられている世代というか。
最近、「常識にとらわれない人」「常識を壊す人」みたいに言われることが多いんですが、僕は別に壊そうなんて思ってなくて。単に、複数の世界の常識に同時に従っているだけなんです。いろんな世界を生きられる人生の方が、絶対、面白いじゃないですか。
――ジャズとクラシックを弾き分ける、という感覚もない、ということですね。
弾き分ける、ということを考えなくなるのが理想ではあります。そのつど、それぞれの楽曲にあった弾き方で弾きたいと願うだけです。ただ、ジャンルというものは同じような考え、感性の人々が集まって成立するものなので、そこに形成されている「文化」にはできる限りリスペクトを払いながら、それぞれの楽曲に臨まなければと思っています。
記事の後半では、音楽大学ではなく東京大学に進むという、ピアニストとしては異色の経歴をもつ角野さんが、ピアノと勉強の「両立」について、そして自身の学び方について語ります。お気に入りのピアノでの即興演奏も動画でご覧いただけます。
――そもそも音大ではなく、東大に行こうと思ったのはなぜですか。
単に、東大にもやりたいことがいっぱいあったからです。僕は音楽と同じくらい、数学も好きでしたから。東大に行ったって音楽はできるし、ピアノも続けられる。
ただ、クラシックに対する複雑な気持ちも、実は少しだけありました。小さいころからずっとピアノをやってきたけど、中学、高校の頃、行儀のいいクラシックにちょっと飽きて、離れてしまって。ハードロックとかメタルに憧れて、バンドでドラムをやったり、ボーカロイドの曲をつくったり。自分で演奏し、ニコニコ動画に投稿するようになったのもその頃でした。
このままピアノが土日しかやらない趣味になっていくのかもしれないと思うと、それはすごく怖かった。でも、それ以上に、音大に入って一日中練習ばっかりしている自分が、当時は全くイメージできなかったんです。
フランスで研究した「耳コピ」
――大学院1年の時、現代音楽の最先端であるフランス国立音響音楽研究所(IRCAM)に留学していますが、そこではどんな研究をしていたのですか。
主に、自動採譜の技術につい…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル