企業社会が濃縮されたシンガポールの駐在員コミュニティ
小学校1年生の時、引越し当日にショックを受けたシンガポールの社宅は、想像していたような白いお屋敷ではないけれどよく見れば特別にひどい家というわけでもない、古い一軒家でした。壁の上部には通気口がたくさん開いており、虫やトカゲが出入り自由。壁にはメロンシャーベット色のかわいいヤモリが貼り付いていました。 一階は冷たいタイル張りのリビングダイニングと、使っていないアマさん(住み込みのお手伝いさん)用の小部屋、キッチン、洗濯部屋、トイレ。二階はバスルームのついたマスターベッドルームと、私が使う子ども部屋、もう一つは錆びたベッドフレームが天井まで積み上げられた暗い部屋。家の裏には大きな椰子(やし)の木が生えていました。初めて聞く熱帯の鳥の声と、甘く瑞々しい緑の香り。私はシンガポールがすぐに好きになりました。 転入したシンガポール日本人学校は当時世界最大規模で、児童の多くは駐在員の子どもたちでした。海外帰国子女というと現地校でのいじめや英語で苦労する話が多いですが、日本人学校には言葉の壁はない代わりに独特の息苦しさがあります。企業社会が濃縮された駐在員コミュニティでは、父親たちの肩書で子どもたちの人間関係が左右されかねません。両者をつないでいるのは母親たち、いわゆる駐妻の人間関係です。 妻たちは、我が子が学校で夫の上司の子どもを泣かせたり、夫の取引先の部長の子どもをいじめたりしないかを気にしなくてはなりません。ですから子どもたちはまだ小学生だというのに、親の肩書きや企業の序列について自然と詳しくなりました。 私も1年生にして「一番えらいのはそうりょうじ、次がこうぎんとかとうぎん、その次がみつびしぎんこうとかすみともぎんこうとかで、その下がみついぶっさんとかまるべにとかで・・・」などと企業名に詳しくなり、日本人会のどのおじさんがえらくて、どのおばさんを怒らせてはいけないのかも何となく知っていました。私たち日本人は、祖国とは全く異なる自然や文化の中に身を置きながら、企業社会の力学が浸透した濃密なニッポン共同体の中で暮らしていたのです。
Source : 国内 – Yahoo!ニュース