車から降りた内倉浩支さん(51)の目に飛び込んできたのは、大人になったユカちゃんの姿だった。「お久しぶりです。急にすみません」。でも、くりっとした目元はあの頃と変わらない。
20年以上も前から年賀状を交わしていたものの、直接会うのはそれ以来だった。突然電話をもらい、父の営む東京都あきる野市のバーベキュー場に駆けつけた。レジャーを兼ねて家族で来てくれたのだという。「3人の子どもの母になりました。長女は、あのときの私と同じ年頃です」。2020年夏。日の傾きかけた山あいに、セミの鳴き声が響いていた。
1995年1月28日、大学4年だった内倉さんは、阪神・淡路大震災直後の神戸市にボランティアとして入った。派遣された中学校には1千人以上が避難し、足の踏み場もなかった。家族を捜す大量の貼り紙。寒気にさらされる入り口に場所を見つけ、1時間半ほどまどろんでは、また働いた。
一斗缶で廃材を燃やすと、暖をとりにぽつぽつと人が集まってきた。元気のいいおばちゃんがいた。家が倒壊した時、娘に覆いかぶさって助けたのだという。その娘が13歳のユカちゃんだった。ユカちゃんと当時何を話したのかは、よく覚えていない。思い出すのは、無我夢中で過ごした日々と無力感だ。
毛布がたくさんあるのに、全…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル