客員論説委員・神里達博
東日本大震災から10年が経った。今月は、関連するテレビ番組や特集記事が多数、企画された。私もできるだけ見て、また読んでみた。あまりにたくさんのことを考えさせられてしまい、結論めいたものも、まとまった言葉も、出てこない。
そこで今回は、その中で何度か見聞きし、心に残った、ある一つのフレーズについて考えてみたい。それは、「10年目は、節目でも区切りでもなく、単なる通過点である」という語り方である。
まず、その意味を素直に受け取るならば、「結局のところ、問題はまだ何も解決していない」と、関係者が訴えているということだろう。
実際、過疎化や高齢化の問題は震災以前から被災地に広く存在していた。そしてこの10年、多くの地域でさらに深刻化している。繰り返し指摘されている通り、その姿はまさに日本全体の未来を暗示するものだ。
〈かみさと・たつひろ〉1967年生まれ。千葉大学大学院教授。本社客員論説委員。専門は科学史、科学技術社会論。著書に「リスクの正体」など
より顕著なのは、度重なる作業工程の延期により廃炉のめどが立たない、東京電力福島第一原子力発電所であろう。この問題は、そもそも時間的なスケール感が「非常識」過ぎて、どう受け止めるべきか、分からなくなることがある。にもかかわらず、いやだからこそ、この社会は結局のところ、事故が起きたという事実そのものを認めたくない、直視したくないのかもしれない。
とにかく、本当はまだ、何も解決していないのである。
プライベートな時間、「10年」で切り取る暴力性
しかし私はもう一つ、少し角度の異なる「異議申し立て」が、この言葉に込められているとも感じている。それは、取材される側から提示された、取材するメディアへの違和感、もっといえば不快感である。
メディアは一般に、過去の事件については「暦」をトリガー(引き金)にして集中的に報じるものだ。だから来月になれば、また「別の話」を語り始めるだろう。誰もがそのことを知っている。このコラムも例外ではない。
また震災によって「抱えることになったもの」は、当然ながら、一人一人異なる。重くても、他人から理解されやすい事情もあるだろうし、逆に外からは分かりにくい苦悩もある。本人すら気づいていない「何か」が隠れていることもある。
従って本来はまず、「被災者」というくくり方自体を問い直さなければならないはずだ。そんな人は、どこにもいない。一人一人に固有の名前と顔があり、別々の人生を歩んできて、これからもそうなのだ。
そのような非常にプライベートな時間を、「10年」で切り取ること自体が、ある種、暴力性をはらんでいるといわねばならないのである。
それでも、このような齟齬(そご)を解消するのは簡単ではないだろう。その根本的な原因は、報道内容の客観性の確保と、取材される側の主体性の尊重という、両立の難しい価値の緊張にこそ、あるからだ。
実は、人間が研究対象に含まれ…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル