「土産」と「手土産」の違い、分かりますか。ルーツは別々ながら、地域のコミュニティーが縮小してきたことで、区別がつかなくなってきたそうです。民俗学者の神崎宣武さんに、土産の歴史について聞きました。
不安定な社会を表す、「土産」文化の後退
土産と書いて「みやげ」。不思議な読み方ですよね。
街道が整備された江戸時代中期、庶民も旅をするようになりました。村の有志のグループで、お金を積み立て、伊勢神宮など遠隔地の寺社に、代表者が参拝するようになったのです。旅に出る人を村人や家族が村境まで送り、宴が開かれました。
代表者は参拝の物的証拠として、お神酒をいただいた器「宮笥(みやけ)」を持って帰ってきました。これが「みやげ」の語源との説があります。また参った寺社の門前では、その土地の特産品「土産(どさん)」を売るようにもなった。こうしたものも含め、旅先から持って帰るものが「みやげ」と呼ばれるようになったとみられます。
旅行した証明となり、グループ内で平等に分けられる「土産(みやげ)」。伊勢参りでは神札、暦、薬など変質しなくて軽いものが主流でした。まんじゅう、砂糖菓子などは土産というより、道中の楽しみとして食べられていました。
明治時代には鉄道が開業して、変質しやすい食べ物も運べるようになりました。人気があったのは温泉まんじゅうなど。包装には地名が明記されていて、みんなに分配できます。
欧州出身の日本文化研究者によると、コミュニティーの人たちに同じものを配る「共同分配」は日本特有の文化だそうです。背景には、定住する農耕民族として、地域で濃厚な人間関係を築いてきた歴史があります。家族の延長線上で、田植えや稲刈りは金銭を介在させずに助け合ってきました。旅行で不在にした時も相互扶助が働きますので、お礼を込めて、地域のみんなに土産を買ってくるのです。職場で土産を配るのも、この流れをくんでいます。
最近、新幹線の車内でも地名…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル