「表現の不自由」と闘った女たち(47NEWS)

 「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」をめぐって、政治家の発言が波紋を呼んだ。河村たかし名古屋市長が中止を求め、当事者ではない黒岩祐治神奈川県知事までが、自分なら「開催を認めない」と発言して物議をかもした。黒岩知事はフジテレビの元キャスター。仮にも報道する側にいた人が、表現を抑圧する側に立とうというのだろうか。

 戦前の知事職は官選で、内務省という最強の官庁を後ろ盾としていた。その内務省は、検閲という強大な権力を用いて表現の自由を圧殺した。黒岩知事の発言は、官選知事の姿に重なる。

 1世紀以上前、1911年9月に創刊された『青鞜』メンバーの「表現の不自由」との闘いは参考になるかもしれない。

 『青鞜』は、女の手になる女だけの文芸誌として出発した。主宰者の平塚らいてう(本名・明=はる)による「創刊の辞」は知られている。「元始、女性は太陽であった。真正の人であった」

 それに続く言葉も大切である。

 「今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く、病人のような蒼白い顔の月である」

 自己を持たないことが女の美徳とされた時代に、自我を肯定し、既成概念をとり去って抑圧のない人間として立ちあがれと言う。これにこたえて青鞜社の社員たちは、家制度下で恋愛や結婚を制限された苦しい体験を自分の言葉で語り始めた。単なるお嬢さま芸でないのは明らかだったから、内務省は当初から「危険思想」とみていたようだ。

 翌年4月には早くも発禁処分になり、警察に雑誌を押収されている。荒木郁の作品「手紙」が原因とされる。人妻から若い愛人にあてた手紙形式で密会の喜びを語った短編で、発禁理由は出版法第19条の「風俗壊乱」、社会の風紀を乱すというのだ。

 メディアもこぞって青鞜社員をバッシングして、権力に媚びた。尾竹紅吉(本名・一枝)がカフェ兼レストラン「メイゾン鴻の巣」で「五色の酒」(カクテルのこと―筆者注)を飲んだように書いたり、吉原見学を吹聴したりしたのがきっかけ。


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Source : 国内 – Yahoo!ニュース

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