「いらだちが本音」最愛の姉と別れ40年以上、自身は家族会の中心に めぐみさん55歳 拓也さんインタビュー(産経新聞)

 北朝鮮に拉致された横田めぐみさん=写真、拉致当時(13)=の弟で家族会の事務局長を務める拓也さん(51)が産経新聞のインタビューに応じ、進展しない拉致問題に率直な「いらだち」を口にした。「いつも家族の中心にいた」という最愛の姉と別れて40年以上。薄れない記憶とともに、5日で55歳となった姉の帰国を待っている。(中村翔樹)

 拓也さんは9歳のとき、めぐみさんと離ればなれになった。「姉の人形を投げて壊してしまったとき、姉は口をぎゅっとつぐんで我慢していた」。姉弟げんかの情景一つにも、4つ離れた姉の優しさを思い出す。

 昭和52年11月15日、めぐみさんは新潟市内で下校途中に拉致される。家には警察が出入りし、電話機に逆探知の装置が取り付けられた。「めぐみさんを誘拐した」と、いたずら電話もあった。だから拓也さんは「今でも電話のベルの音は好きではない」。

 平成9年にめぐみさんの拉致が報道され、「拉致」が一気に日本中に認知されると父の滋さん(86)と母の早紀江さん(83)は署名活動に講演会に、と全国を奔走する。

 拓也さんははじめ、それを「遠目から見ていた」というが、自身が家族会の活動に本格的に関与する転機があった。14年9月17日の小泉純一郎首相(当時)の訪朝だ。

 史上初の日朝首脳会談で北朝鮮が突きつけ、日本政府が無検証に家族に伝えてきたのは、めぐみさんを含む「8人死亡」だった。記者会見で滋さんが声を詰まらせ、早紀江さんが後列から身を乗り出して支える様子を真横で見て、「これはもう、子供の立場ではいられないなと思った」のだ。

 「私たちは言葉の武器しかもっていない」。拓也さんは、翌15年に訪米して米政府に訴えた。それは「宿命ともいえる」という。家族の多くが高齢化する中、救出運動の中心として表舞台に立つ。都内のメーカーの営業マンだが、新聞を経済面ではなく国際面から読む。「各国トップの発言や国際情勢が拉致に関係してくることもあるから」だ。

 5日で55歳の誕生日を迎えためぐみさんが拉致されて、今年で42年。拉致を信じてさえもらえず、無関心とも闘ってきた親世代に比べて進展してきてはいるが、具体的な成果がない。

 「こんなに長い時間がかかっているのに、なぜ解決しないのか。政府は『できることはやっている』というが、北朝鮮に帰国を決断させるために整えるべきことは、まだまだあるはず」。そして、「いらだちが本音です」とも言った。

 トランプ米大統領が金正恩(キムジョンウン)朝鮮労働党委員長に再三提起して拉致は米国も含む3国間の問題になった。拓也さんは現状を「北朝鮮は拉致を避けては通れない」と分析、同時に「政府には弱腰な姿勢は許されない」と訴える。5日、米朝実務者協議が予定されている。「何かが急に動くことはないでしょう」。国際情勢を冷静に見極める一方、政府には結果を求める構えだ。

Source : 国内 – Yahoo!ニュース

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