柔らかな日差しが朝の教室に差し込んでいた。
1972年5月15日、静岡市。小学2年の田中千香子さん(58)は教室で、先生が来るのを待っていた。二重まぶたが印象的な、20代後半くらいの女性。やさしくて、みんなから慕われていた。ただ、この日、教卓の前に立つと、表情はゆがんでいた。
「私の生まれた沖縄というところは、みんなの住む日本に帰ってきます」
「でも、私は少しもうれしくありません」
静岡駅前や、東京・銀座のデパートでは「復帰セール」や記念メダルの即売会、沖縄の物産展などが催され、新聞には「日本でいちばん『太陽に近い場所』」とうたった航空会社の広告が並んでいた。
先生もきっと喜んでいるはずと思っていた。予想もしていなかった言葉に、なんで?とは聞けなかった。 土砂降りの雨だった。
1972年5月15日、那覇市。36歳の中学教員だった山城正二さん(86)は公園で、ずぶぬれになりながら拳を突き上げていた。
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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