「おい西沢、ここか。やっと来れたわ」
10日午後、「西梅田こころとからだのクリニック」の看板が今もかかる大阪市北区の8階建てのビルの前で、スーツ姿の男性(50)がつぶやき、手を合わせた。
緊張で表情はこわばった。テレビニュースなどで見慣れていたビルはJR大阪駅から歩くと想像よりずっと近かった。ここに立てるまで1年近くかかった。
26人が犠牲になった大阪・北新地のクリニック放火殺人事件から、12月17日で1年となる。オフィスや飲食店が集まる街で、多くの人の心の支えとなっていたクリニック。あの日からの1年をたどる。
男性はクリニックの西沢弘太郎院長(当時49)の高校時代からの親友だ。あの日、同級生仲間から「『重体の院長』は西沢のことじゃないか」というメッセージが回ってきた衝撃は今も忘れられない。
数日後、家族と親友ら十数人だけでとり行われた通夜や葬儀に参列した。
眠っているようにきれいな遺体を対面しても、「まるで映画を見ているようで現実と思えなかった」。
事件現場前に献花台ができたと聞いても、足が動かなかった。「死を受け入れることで、高校時代のごく平凡な、でも、かけがえのない思い出まで消えてしまう気がした」からだ。
「こうちゃん」「のぶさん」で呼び合った日
大阪府内の私立の中高一貫校に通い、「こうちゃん」「のぶさん」と呼びあう西沢さんと親しくなったのは、高校2年生のとき。国公立大文系と国私大理系を志望する生徒が集まるクラスで、席が近くになったのがきっかけだ。
西沢さんが開業医の家系で、医師を目指していることは知っていた。付き合うほどに「放浪癖があり、いたずら好きのおもろいやつ」だとわかり、心が近づいていった。
放課後に突然、「神戸に行こう」と言いだし、三国志の関羽をまつった関帝廟(神戸市中央区)を訪ねたり、酷寒のなか、制服の肩に雪を積もらせながら平城京跡(奈良市)を縦断したり。
校外学習で京都市郊外の山に登ったときには、こっそり遠足のコースを抜け出してボウリングし、何食わぬ顔して点呼に戻った。教師に「自分ら靴がきれいや」と嫌みを言われた。
「彼のおかげで、学校と家の往復がすべてだった10代のぼくの世界がぐっと広がった」
背中を押した「頑張りや」の電話
友情のありがたさを実感した…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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