「お互いさま」の街、日本初の石炭記念館が令和に語りかけてくること

 捲櫓(まきやぐら)を移して建てしタワー見ゆ湖(うみ)に光の残る夕ぐれ

 100ヘクタールに及ぶ常盤湖は緑に囲まれ、ほとりに並ぶ彫刻に彩られている。山口県宇部市のときわ公園。その片隅にある古びた鉄塔が市石炭記念館の目印だ。

 短歌は、かつて働いた宇部の炭鉱の語り部を務め、昨年93歳で亡くなった木下幸吉さんが詠んだ。高さ30メートルほどの鉄塔は、石炭や鉱員を運ぶ「捲櫓」だった。

昭和QQ

 2024年は「昭和99年」にあたります。激動の時代が、いまに問いかけること。令和に続く昭和の話をつむぎます。

 公園に移設されて展望台になっている。館内をのぞくと、地下へ導かれるような薄暗いスロープの先に、海底炭田の坑道や採炭現場が再現されている。

 鉱員たちがひしめくように暮らした長屋「炭住」を復元した展示もあった。海底の坑道が水没して大正に235人、1942年に183人が死亡するなど、展示は痛ましい歴史にもふれている。

 宇部で江戸時代には始まっていたという採炭は明治に入って産業として興った。規模の大きくない宇部の炭鉱は戦前に生産のピークを迎え、67(昭和42)年に操業を終えた。

 国内の多くの炭鉱より早い時期の閉山で、2年後、湖畔に建てられた同館は、「日本初の石炭記念館」がうたい文句になった。

根付く寄付文化

 ただ、閉山の一方、セメント…

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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