「この世界の片隅に」協力の父、もう動けない 継ぐ思い

 映画館や食堂、病院に写真館……。平和記念式典が開かれた一帯は、にぎやかな広島の中心部だった。ここで奪われた命と暮らしを忘れまいと、思いを受け継ごうとする人たちがいる。

 6日の式典終了後、平和記念公園の一角で、この地で亡くなった人の追悼法要があった。広島市出身の大木久美子さん(60)は一人で参列した。「これで最後かも」と、父親の高橋久さん(90)を車いすに乗せて連れてきたのが1年前。久さんはもう、動けない。

 久さんの実家は旧中島本町で写真館を営んでいたが、原爆で消え去り、家族3人を失って原爆孤児に。久美子さんは久さんに原爆のことや家族のことをあまり聞かなかった。「触れてはいけない」。寡黙で気むずかしい父の古傷に触れる気にならなかった。

 だから映画「この世界の片隅に」制作に協力していたときの父の様子が忘れられない。家族と暮らしたかつてのまちを語るとき、久さんはまるで少年のような表情だった。

 だが今年は病床で家族の命日を迎えた久さん。枕元には幼い頃に家族4人で撮った写真が飾られている。久美子さんは「今からでも遅くない」と久さんの記憶をつなごうと思っている。病院でこう伝えるつもりだ。「きょう、亡くなったみんなにここで会えた気がしたよ」

【動画】思いを託された「モノ」をめぐる、人々の物語=西田堅一、上田幸一撮影

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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