島根県松江市にある子育て施設では、月に数回「おもちゃの病院」が開催されている。そこで壊れたおもちゃをボランティアで“治”しているのは、職場など現場の第一線を退いた男性たちだ。だれもが、どこかうれしげに作業に当たっている。
【画像】自らと重なるおもちゃの姿…人生100年時代、私達はこう生きる
日本人の平均寿命が過去最高を更新し続け、「人生100年時代」という言葉が現実味を帯びてきている。しかし一方で、その生き方については誰も教えてくれず、多くの人が不安を抱え、どう生きるかを手探りで探している。
雇用の延長が進んでいるとはいえ、リタイアした後の長い余生をどう生きるのか。第一線から退いた後、自分にできることはまだあるのか。自分の存在価値はどこにあるのか。
おもちゃの治療をしているドクターたちは皆、長年、おもちゃとは関係のない別の世界で働いてきた人間ばかり。彼らを通して見える、長い余生の生き方とは。
60歳でおもちゃの病院に入った技術畑出身ドクター
東京・四谷にある「東京おもちゃ美術館」。ここには日本おもちゃ病院協会の事務局があり、月に2回、壊れたおもちゃを修理する「おもちゃの病院」も開かれている。
東京はさすが活動の中心地だけあって、多くの専門職が所属している。それぞれがてきぱきとおもちゃを治していく光景は、壮観だ。
一方、松江おもちゃの病院では、持ち込まれた一つのおもちゃを何人もが取り囲み、経験と知恵を出し合いながら解決策を探っていく。
松江おもちゃの病院で代表を務めるのは、野口三郎さん。岡山県出身の67歳だ。58歳のときに早期退職し、東京から妻のふるさとである島根に移住。県の臨時職員を経て、60歳のときにこの活動に出会った。
大手電気機器メーカーで技術職を11年務めた後、退職するまで営業の仕事をしていた。技術畑出身なので、基盤を使ったおもちゃの治療などはお手のものだ。しかし野口さんは、当時との違いをこんなふうに説明してくれた。
「おもちゃの治療というのは、技術ではない。メーカーでの修理には技術がいるけれど、おもちゃの場合は技術よりは知恵だよね」
おもちゃの病院での仕事は、修理だけでなく、活動の記録やイベントの立案、新会員の募集などの細かな雑務まで、多岐にわたる。大忙しだが、報酬なしでどうして頑張れるのか。
「『一生懸命、人のためにやっていてすごいね』とみんな言うけど、半分は自分のためなんですよ。おもちゃを治す作業自体が楽しいし、子どもたちが喜んでくれるのも物凄く楽しい」(野口さん)
高齢者の社会参加はボランティアが多いが、野口さんは正直に「自分のため」と語る。他人を喜ばせるだけでなく、自分も楽しめないと続かないことに気が付いているのだ。
野口さんは、おもちゃ修理の楽しみについて、こう分析している。
「おもちゃというのは物ですから、自分がしたことが、100%結果として反映される。うまく動かなければ自分のやり方が悪いし、うまくいった場合は自分がうまくできたということ。そこがおもしろいね」
いかにも技術者らしい価値観だ。とはいえ、同じ「物を“なおす”」行為であっても、会社員時代とは目指すものが異なるのだと話す。
「家電メーカーでいう『物を“なおす”』というのは、設計図があって、そのルールの通りに元に戻すこと。俗に言う『修理』です。おもちゃの病院でするのは、『修理』ではなく『治療』なんです」
病院で医師がするように、「もし全部の機能が元通りにならなくても、患者の求めている生活をできるようにするのが『治療』」なのだという。
会社員のころは完璧な『修理』を目指していた。けれど、今ここで求められているのは、子どもたちがまた遊べる程度までの『治療』。
それは、会社員時代とはまったく違う世界だ。『治療』でいいのであれば、できることは大きく広がる。高齢者の参加ももっと増やすことができるだろう。
Source : 国内 – Yahoo!ニュース
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