26人乗り観光船の沈没事故は、世界自然遺産を抱える知床の海で起こった。かつて世界遺産登録に向けて誰よりも汗をかいた男性に事故について聞くと、語る言葉が止まってしまった。
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その日、異国の地に設けられた会場は歓喜の輪に包まれた。
2005年7月14日、南アフリカ・ダーバン。第29回世界遺産委員会で、「知床」の世界自然遺産登録が決まった。
会場の片隅には、静かに涙をこぼす男性がいた。
当時の北海道斜里町長・午来(ごらい)昌(さかえ)さん(85)。
「知床の自然がようやく認められた。町民みんなの顔が浮かんで、万感の思いがこみ上げてきた」
鮮明に覚えているという当時の心境を語り、こう続けた。
「この地に生まれて良かったと思えた。夢がかなった瞬間だった」
「知床」の世界自然遺産への登録決定を見届けた午来さん。記事後半では、世界遺産登録に向け、腰の重い道庁や中央省庁を飛び回った奮闘ぶりを紹介します。そして、今回の沈没事故をどう思うのか。知床の自然を大事に思う午来さんらしい言葉でした。
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その思いには、原点がある。
無上の喜びに酔いしれた登録決定の日から、さかのぼること約30年。知床では、「列島改造ブーム」による開拓跡地の乱開発の危機から土地を守るため、町主導でナショナルトラスト「知床100平方メートル運動」が展開されていた。
「しれとこで夢を買いませんか」。そんなキャッチフレーズを掲げ、1口8千円で寄付金を募った。土地は町が管理・植樹し、原生林の復元を目指した。町は本格的に「自然保護」へとかじを切った。
10代のころから山歩きが好きだった午来さんは、この運動の中心を担った。しかし、転機が訪れた。
1987年4月、林野庁は「森林再生」を名目に、知床国有林を伐採する方針に動いた。だが、午来さんは「赤字を抱えていた林野庁は知床の高値で売れる巨木を売りたかった」と振り返る。
全国から伐採反対の声が上がるなか、当時の町長も伐採を容認。これに反発した午来さんが、同月の町長選に立候補した。
「長く生きて学んだことがある。我々の先祖は8千年前から原生的な知床の自然を守り続けてきたんだ」
マイクを手に、涙ながらに訴えた。
720票差。現職を破り、初…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル