「それでもいい」と言ってくれる父に尊敬 マヂカルラブリー村上さん

おやじのせなか)マヂカルラブリー・村上さん

 両親ともに公務員で、お父さんは土木専門の愛知県職員として働いていました。小さいころ、「この橋つくるときに関わっていたよ」というような会話をした記憶があります。

 家で料理をつくるのはお父さんでした。朝5時ごろに起きて、家族の朝ご飯とお弁当をつくっていました。お父さんがつくる愛知名物のどて煮は好きですね。番組で、相方の野田(クリスタルさん)を連れて実家に帰ったときも、いろいろ料理してもてなしてくれました。

 勉強も、お父さんが面倒を見てくれていました。添削指導のテストの時間を計ってくれて、ミカンを割って、「これが2分の1だろ、これが3分の1だろ……」と分数を教えてくれたことを覚えています。

 東京の大学に行き、国語教員になることや企業に就職することも考えていましたが、大学4年で留年するタイミングで「芸人やろうかな」と相談しました。留年は少し怒っていた気がしますが、芸人になることに関しては反対されませんでした。

 ただ、芸人を続けていても何…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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