「ちむどんどん」の壁 宮沢氷魚さんを支えた少年期のタフな経験

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聞き手・桑原紀彦

 間もなく最終回を迎えるNHKの連続テレビ小説「ちむどんどん」で、主人公の夫を演じる俳優・モデルの宮沢氷魚(ひお)さん。米カリフォルニアで生まれ、帰国後は東京のインターナショナルスクールに通った国際派ですが、大学3年で入った芸能界は苦難の連続だと語ります。一つ一つ乗り越えていけたのは、少年時代のある経験が糧になっているから、と言います。どんな経験をしたのでしょうか。宮沢さんに聞きました。

 米カリフォルニアで生まれ、生後すぐに帰国し幼稚園から高校まで東京のインターナショナルスクールに通いました。恥ずかしがりで人の前に立つのが苦手。授業では、自分の考えをみんなの前で発表する機会が多いのですが、話そうと思ったことが頭から飛んでしまい、何も言えなかったこともあります。

 プロ野球選手になりたくて、小学生の頃から野球に打ち込みました。横浜DeNAベイスターズ三浦大輔投手(現監督)のファン。リーゼントと、2段モーションで投げる独自のスタイルが好きで。小学生では近所のチームでプレーし、遊撃手。関係者の目に留まって、中学からは誘いを受けたボーイズリーグのクラブに入りました。

 でも、じきにつらくなりまし…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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