「とーと」小船から9歳は叫んだ 父と姉を亡くした男性の悔恨

 終戦間もない1945年8月28日、石川県能登半島の七尾湾で、周辺住民を乗せた木造船が機雷で爆沈し、乳児を含む28人が犠牲になった事故があった。

 事故は夕方に起きた。七尾湾を航行していた木造船「第二能登丸」が、戦中に米軍が敷設した機雷に触れた。船には、七尾港での勤労動員や用事を終えた住民ら50~60人が乗っていた。

 「毎年、盆を過ぎると記憶がよみがえってくる」

 当時9歳だった松本武夫さん(86)=石川県中能登町=は、顔のかぶれを治すため、父(当時44)と一緒に和倉温泉へ出かけた帰りだった。勤労動員を終えた姉(同16)と合流し、七尾港から船に乗り込んだ。

 出航したのは午後6時ごろ。父と一緒に船中央の屋外で腰かけていた。夕日に照らされた七尾湾を進み、最初の経由地・能登島で何人かが下船した。自分も下りると思い、立ち上がると、父から「ねまっとれ(座っていなさい)」と言われたのを覚えている。

40メートルの水柱 1980年代まで語られなかった事故

 再び船は動き出した。疲れも…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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