「私たちは命の危険にさらされた。市が命を大事にするなら、ポンプ増設をなぜ優先させなかったのか」。7月30日夜、大牟田市の三川地区公民館で開かれた地区住民への説明会で、大規模冠水に襲われた住民から憤りの声が相次いだ。同市は7月6日午後からの12時間で平年の7月の1カ月分に匹敵する雨が降った。最大被害の三川地区は推定千戸が床上浸水し、高齢者2人が自宅内で溺死した。 【画像】大牟田市の7月豪雨の浸水推定図 周辺より土地が低い三川地区にたまる雨水を諏訪川に排水する役目を担うのが、三川ポンプ場(1963年稼働)の12台のポンプ。だが2015年ごろから道路冠水などが続き、地区の住民組織「みなと校区運営協議会」は2017年6月、ポンプ増設を市に文書で要望するなど、折に触れて増強を申し入れていた。 ところが6日午後は3時間で250ミリを超す「想定外」(市企業局)の集中豪雨で排水が間に合わず、内水氾濫が発生。ポンプ場までが午後8時半すぎに水没。全てのポンプが停止したため被害拡大を招いたとみられる。住民たちの怒りに企業局トップの井田啓之企業管理者は「見込みが甘かった」と後手を認めた。
× × 市名の「牟田」は湿地を意味し、低地が広がる地形に由来する。江戸期、にぎわいの中心は東側の「三池」一帯だった。ところが石炭採掘が西方で盛んになり、有明海の干拓や埋め立てが広がって西側の「大牟田」一帯が中心になっていった。大正期ごろまでは坑道掘削による地盤沈下で、土地がさらに低くなる場所もあったという。 1960年代発行の市史には、1744戸の床上浸水被害が出た62年の豪雨をはじめ、水害に悩まされてきた大牟田の歴史が刻まれている。水害対策は市の重大使命で、河川改修や地盤かさ上げだけでなく、戦後は排水機能向上のためにポンプ場整備も順次進められてきた。市設置の排水ポンプ場は現在、JR鹿児島線より西側の5カ所に及ぶ。 一方で、昨年改定の地域防災計画に記された大雨災害履歴は、90年の豪雨被害(床上浸水550戸)が最後だ。それから30年が経過し、ポンプの性能向上などもあって被害が減少。近年の企業誘致の際に市は「災害が少ないまち」とアピールさえしていた。
Source : 国内 – Yahoo!ニュース
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