「なつぞら」 北の酪農ヒストリー 第10回 ペリーが伝えた牛乳 80年かけて大衆化(日本農業新聞)

 「なつぞら」は、太平洋戦争終戦以降の時代を舞台にした物語ですが、日本で牛乳が飲まれるようになったのは、それよりも80年以上前のことです。

 きっかけはペリー来航による開国でした。多くの外国人が横浜に住むようになり、牛や豚を持ち込み繁殖して牛乳乳製品や畜肉を食用に供しました。江戸時代の日本人には畜産物を食べる習慣がなく「けがれる」として嫌いましたが、やがて明治天皇が牛乳・牛肉を食されたとの報道や、栄養価の高さへの理解から徐々に受け入れられていきました。

 牛乳の生産は明治の初期に、外国人から畜産技術を教えられた日本人が、東京の中心部(現在の中央区、千代田区の一帯)で牛乳搾取業と呼ばれた牧場を開設して始まりました。背景には国策としての畜産振興がありました。「富国強兵」のために、食事の改善を通じて体格・体力に優れる国民を、多く育てる必要があったのです。中心になって進めたのは維新三傑の一人、大久保利通です。

 当時の牛乳の値段は比較的高価でした。180ミリリットルで5銭との記録があります。米1升(約1・5キロ)が5・5銭でほぼ同じ値段です。現代の米1升の値段(例えば500円)と比べると理解できます。高価で希少な牛乳は、普及のために次のように宣伝されました。

 「牛乳の効能は牛肉よりもさらに大きく、身体の弱い人にはぴったりで万病に効く薬と言えます。病に用いるだけでなく、外国では毎日飲むのはもちろん、チーズやバターとして食べ、日本のかつお節と同じです」(現代語訳)

 畜産物になじみがなく、タンパク質の少ない時代でしたから、牛乳は栄養不足を補い抵抗力を高めたと考えられます。このように当初は滋養強壮や赤ちゃんの哺乳のための消費が多かったようです。

 その後、普及は徐々に進み、明治期には数万トンだった生乳生産量は、なつが高校生だった1955(昭和30)年には100万トンとなりました。この頃の牛乳の値段は180ミリリットルで13~15円ですが、同様に米1升の値段98円と比べると、八十数年をかけて買いやすい価格になったことが分かります。(東北森永乳業常務取締役・百木薫)

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Source : 国内 – Yahoo!ニュース

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