「ふれる」は生きること、コロナ下の視覚障害者 震える腕つかまれた

 「ふれる」ことを誰もが不安視した3年間。

 「ふれない」と生きていけない視覚障害者は、どう過ごしたのだろうか。

 東京・高田馬場。学生街の喧噪(けんそう)が漂うビルのワンフロアに「ふれる博物館」はある。日本点字図書館が2018年に設立した。

 現在の企画は「石を感じる」。

 アンモナイトやオウムガイの化石を、森登美江さん(72)がいとおしそうに触れていた。両手で覆って全体像を確かめ、徐々に片手で細部を確認する。その間15分。

 「こんな所に穴があるのね。縦から見たらどうなのかな。逆から見たら?」

 夢枕獏さんの小説「月に呼ばれて海より如来(きた)る」に登場する二つの貝の話を何度も読んで、あこがれていた。

 「本が大好きなので、興味を持った物は、なんでも見たいの。子どもの時からそう。何を見ても楽しいの」

 1歳半の時に、はしかによる高熱で失明。マッサージの仕事をしながら暮らしてきた。森さんは「ふれる」を「見る」と言う。

 コロナの感染者が増え始めた3年前。3カ月は家からほとんど出なかった。

 エスカレーターに乗るにも、バスに乗るにも、必ずどこかにふれて、距離感を測る。点字にふれて文字を読む。

 「エレベーターのボタンを棒で押すなんてことできないし、ふれるたびにアルコール消毒していたらきりがない。他の人の10倍だもの」

人への恐怖 駅での出来事

 でも、外出できない一番の理…

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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