「ぼけ、土人が」発言のあった沖縄・高江 反基地訴え続け15年

内灘闘争70年③

 1952年、日本海に面した石川県内灘村(現内灘町)で、米軍基地をめぐる反対運動が巻き起こった。「内灘闘争」と呼ばれ、戦後日本で起きた反基地運動の先駆けとされる。当時、何が起きていたのか、教訓がどのように伝わっているのか。闘争に参加した住民や、沖縄で反基地運動に関わる男性らを取り上げる。

 9月中旬の朝、沖縄本島北部の東(ひがし)村高江地区。米軍北部訓練場のゲート前に警備員の姿が見える。県道を挟んだ向かい側の白いテントには、横断幕が掲げられていた。「高江に静かな暮らしを返して」。ここで反基地運動を15年続ける男性がいる。

 訓練場は東村と国頭(くにがみ)村にまたがり、周囲は世界自然遺産にも登録された「やんばるの森」が広がる。鳥やセミの鳴き声が絶え間なく響き、空を見上げると、米軍ヘリとみられる機体が音を立てて横切っていく。

 高江周辺には、米軍ヘリや輸送機オスプレイが発着する「ヘリパッド」が6カ所移設された。約7800ヘクタールあった訓練場の半分以上を返還する条件として、返還区域にあったヘリパッドを移すことになったのだ。

 2007年7月に始まった工事は、抗議活動でたびたび中断したが、16年末までに6カ所すべてが移設された。

 朝9時、1人の男性がテントに現れた。「『ヘリパッドいらない』住民の会」の清水暁さん(52)だ。椅子に腰掛けると、ノートを見せてくれた。抗議の参加者が日付ごとに記されている。

 「最近は1人になってしまいましたね」

 県内外から応援に来る人も時々はいるが、朝から夕方まで常にテント内に座って抗議しているのは、地元住民ら数人だけになったという。

 清水さんは金沢市出身だ。東…

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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