「また、明日もやっぺな」 走り続けて逝った復興の旗手、店は後輩へ

 ずんぐりむっくりとした体に、ニット帽――。東日本大震災からの復興をめざす岩手県大船渡市で飲食店を営み、商店街の活性化に尽力していた最中(さなか)、昨年6月に交通事故で亡くなった新沼崇久さん(当時50)。その遺志を継ぐ飲食店が11日夕、後輩2人の手で8カ月ぶりに再開する。

 新沼さんは大船渡市と盛岡市で三つの飲食店を経営していたが、震災で大船渡市の2店が津波に流された。しかし、すぐに再開する場所を探し、商店主たちに呼びかけて、その年の暮れに仮設商店街をオープンした。

 市のまちづくり協議会でも議論を引っ張り、2017年からはJR大船渡駅近くにできた商店街「キャッセン大船渡」の一角で、居酒屋「海山(かいざん)酒場」とイタリア料理店「ノイマーレ」という隣接する2店を経営しながら、商店街をまとめていた。

コロナで客足減、立て直しの矢先に

 「今日、試作しよう」。両店の店長・細谷春樹さん(40)は新沼さんに声をかけられた。復興需要が落ち着き、コロナ禍で客が減った店の立て直しは待ったなしだった。昨年6月8日夜、新沼さんと細谷さんら3、4人の店員でピザの新メニューを作り始めた。

 細谷さんが新沼さんの店を任されて10年になる。夜通し営業した朝に、支援団体のイベントに呼ばれて屋台を出すなど一緒に休みなく働いた。「うちはブラック企業だ」と新沼さんにこぼしながらも、心の距離をあっという間に縮めて人の輪を広げたり、街の活性化のための催しを次々と企画したりする新沼さんに惚(ほ)れ込んでいた。一方で、「自分の店を二の次にしている。もっと現場にいてほしい」という不満もあった。

 「うーん、この味じゃねえなあ」。トマトソースの味を変えるなど3種類のピザを試し、夜半の厨房(ちゅうぼう)で試作品を食べながら首をひねる新沼さんを見て、細谷さんは「やっと自分の店の商売を考え始めてくれた」とうれしくなった。

 午後11時近くになった。「…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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