岡林佐和 江戸川夏樹 小林圭
働く場で、議会で、女性たちの進出を後押しする「二つの均等法」の誕生に奔走した赤松良子さんが94歳で亡くなった。女性議員を増やそうと活動する市民団体の代表を現役で務め、日本の男女平等の実現のために最後まで力を尽くした。
「この法律があるとないとで、女性の働き方がまったく違う。世の中に法律は何千とあるけれど、日本の歴史を大きく変えた法律だと思っています」。赤松さんは、労働省(現厚生労働省)の婦人局長として1985年に成立させた男女雇用機会均等法について生前、こう語っていた。
かつては「結婚で退職」横行
均等法以前、女性たちは採用で門前払いされたり、結婚や出産で退職させられたりすることが横行していた。日本が国連の女性差別撤廃条約を批准するためには、雇用の平等を確保する法律が必要だった。
「批准できなければ、日本は先進国としての立場をまずくしますよ」。反発する財界をこう説得してまわった。採用や昇進における差別禁止を「努力義務」にとどめる妥協も経て成立させた法律は、一部の女性団体から批判を浴びた。均等法はのちに改正を重ねて強化されたことから、赤松さんは「法律は小さく産んで大きく育てるもの」と講演などで話していた。
退職後の93年には民間から文部相にも登用された。当時、校則で丸刈りを強制する学校が問題になり「個人的には兵隊さんを思いだしてぞっとする」「ひっつかまえて(丸刈りを)やるのは行き過ぎじゃないか」との発言が話題になった。
70代を迎えてもなお男女平…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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