高層ビルが並ぶ横浜市のみなとみらい21地区。そば店「香露庵(こうろあん)」はその中にぽつんと立つ。
周辺のオフィスビルで働く人たちでにぎわうこの店を家族で営む森川英淑さん(65)は、みなとみらいが開発される前からこの地で暮らしていた。「本当に何もなかったのよ」と振り返る。
1981年に3歳年上の夫と結婚し、夫の両親が70年代に開いた大衆食堂兼自宅に引っ越した。森川さんも育児をしながら食堂を手伝った。
「みなとみらい」の未来をみたかった
食堂の客は近くの港湾関係者ばかりだった。現在のような大通りはなく、周辺には住宅もあったが、開発計画があるためそのうち立ち退かないといけないことは聞いていた。
85年ごろ、周辺の倉庫会社などが移転。住民の多くも土地を売って去っていった。「商売ができないほど人がいなくなって怖いくらいだった」
横浜の代名詞となった「みなとみらい21地区」が今年、着工から40年を迎えます。このまちをめぐるものがたりをお届けします。
それでも森川さん一家が店と…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル