「みんな一緒だったから…」祖父母を囲む家族 被災地で触れた優しさ

 金沢市を車で出発してから、約8時間。崩落した道を避けながら、ようやくたどり着いた石川県輪島市は多くの家屋が倒壊し、街から灯(あか)りが消えていた。

 最大震度7を観測した能登半島地震の発生から2日後。輪島市の中心部に位置する市役所に記者(23)が入ったのは、3日夕方だった。暗い街並みの中で、庁舎の明かりが浮かび上がっていた。

 遠くから見ると無事のように思えた市役所の玄関は、大きく陥没していた。庁舎に避難していた住民らが、その玄関を入れ代わり立ち代わり出入りしている。もう日が落ち、外は冷たい風も吹いている。

 若い男女2人組に声をかけると、こんな返事が返ってきた。

 「建物の中だと、電波がつながらないんです」

 見回すと、多くの人がスマートフォンを空にかざし、つながる場所を探しながら市役所のまわりを歩いていた。

 2人は下谷将大さん(21)と山岸真希さん(20)で、いとこ同士だった。それぞれ神戸と金沢から、輪島市内にある祖父母の家に帰省してきたという。

能登半島地震の被害状況を取材するため、多くの記者が被災地に向かいました。現地でみた光景、避難されている方々から聞いた話、記者が感じたことをお伝えします。

ぶつけられた質問、答えられないもどかしさ

 家族8人がそろった正月。午後4時、おせちをほとんど食べ終え、居間のこたつでだんらんしていた。

 「まいりました!」。毎年恒…

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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