「もう泣きたいけど…」 がれきの街で聞いた声、あの人を再び訪ねた

 「僕は震災報道の生き残り」

 復興への歩みをラジオで伝え、やがて口を閉ざしたフリーアナウンサーの三条杜夫さん(75)がそう思ったのは、地元紙記者の言葉がきっかけだった。

 「私は震災の直前に生まれ、当時の記憶がない。震災について教えてくれませんか」

 再び語り始めた三条さんは、この冬、ラジオに出てもらった人たちを28年ぶりに訪ねた。がれきが広がる街で力をくれたあの人たちはいま、どうしているのだろう――。

「地元の自分が」 ボランティア、無我夢中で

 まず会いに行ったのは「復興屋さん」だった。当時、ラジオでこう伝えた。

 《今日は西宮市です。震災後に「復興屋さん」ができたんです。お金もうけにはならない。岡田正幹(まさみき)さんの経営です》

 兵庫県宝塚市の岡田正幹さん(65)は、同県西宮市内で広告会社を営んでいた。震災から約1カ月後、千葉県から復興支援のために訪れた人たちと出会い、それをきっかけに友人らと始めたのが「復興屋」だった。

 2、3カ月にわたり、がれきの片づけや被災した家屋の解体などをボランティアで手伝った。三条さんの取材を受けたのは、そんなときだ。

 《「よその土地の人がこんな…

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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