引きこもりの長期化、高年齢化が進んでいる。家族以外と交流せず自宅にこもる中高年(40~64歳)は約61万人と推計されるほか、80代の親が50代の引きこもりの子を支え、親子で困窮する「8050問題」も深刻化。苦悩から抜け出せないのはなぜか、どんな支援が必要か。引きこもり経験があり、福岡県嘉穂・鞍手保健福祉環境事務所で家族などの相談のアドバイザーを務めた児玉光司さん(43)=同県飯塚市=の話を紹介する。 【写真】引きこもり当事者の家族を前に講演する児玉光司さん
-引きこもりになった経緯は。
「中学生の頃、いじめに遭いました。その間は意地で登校していても、いじめが止まると、学校に行く目的を感じなくなりました。なぜ、無理に登校しなければならないのか。困惑し、疲れ果て、がりがりに削られた心で高校受験に臨みました。合格すると『また学校に行かないといけないのか』と涙が出ました」 「親とは『夏休みは絶対取らせて』と約束していました。ところが夏休みに課外授業があり、『授業だから仕方ないでしょ』と言われました。無理を重ね、高校3年生で限界を迎え、不登校になります。幻聴が聞こえ、大学受験でも『学校』という言葉がこれまでの苦しみとリンクし、恐怖で問題の意味が分かりません。『もう無理。精神科病院に連れて行って』と泣いて頼んでも拒絶されました」 「結局、専門学校に進んでデータ管理会社に就職します。そこは3交代制の勤務で、生活リズムはずたずたになりました。職場は山奥の地下にあり、心療内科に通院していた私は上司の指導に耐えきれず、入社9カ月でパソコンの入力作業ができなくなりました。寮で倒れているのを発見され、自宅療養した後に退職し、自宅で21歳から4年間の引きこもり生活に入りました」
-どんな生活でしたか。
「部屋で横になって、ぼんやりしていました。部屋にはテレビもパソコンもなく、外とのパイプはありません。本のページをめくって暇をつぶし、脳内で見えない友達と会話しました。親や会社を恨む理由を考えては、たまに親と口論し、ぶち切れ、疲れて寝込みます。ふすまを破り、壁に穴を開け、深夜に壁を蹴ることも。自殺用に買った包丁を手首に当てるなど、もがいていました」 「親と顔を合わせるのがおっくうで、仕事に行っている間しか部屋を出ませんでした。食事はカップ焼きそばに卵三つを入れて混ぜ、マヨネーズをかけておかずにして、白ご飯を食べます。部屋を出なくてももつように、わざとカロリーの高いものにしました。いかに親と会わずに済ませるかが生活の要でした」 「最長2カ月くらい、ほぼ寝たきりで、風呂に入らないことも。引きこもっていると時間の感覚が分からなくなります。外に出ないので汗をかかず、人目を気にしないのでひげもそりません。たまに寂しくなり、弟を挑発してけんかし、ぼこぼこにされるのも楽しみでした」
Source : 国内 – Yahoo!ニュース
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