「やばい」の一言残した息子 「我がこと」になった防災

 2014年の広島土砂災害で65人が犠牲になった広島市安佐南区の梅林学区で20日午前、追悼献花式が開かれた。その中に、昨年7月の西日本豪雨で息子を亡くした同市の植木富士子さん(46)の姿もあった。「あの日」を境に、防災への考え方が変わったという。

 「避難してね」。昨年7月6日夜、激しい雨を心配した植木さんは、車で同市安芸区矢野東の自宅に戻る途中、家にいた将太朗さん(当時18)に電話し、避難を促した。

 「わかった」。しかし2、3分後に折り返しの電話があり、「やばい」というつぶやきとともに途切れた。

 将太朗さんの行方がわからなくなって以降、LINEで連絡を取り合った同級生やテニス部の仲間、後輩たちが何十人も駆けつけ、自衛隊員やボランティアらと土砂を掘って捜した。植木さんも連日、スコップを手にした。10日後、将太朗さんは自宅敷地内の土砂の中から遺体で見つかった。

 植木さんの誕生日に、将太朗さ…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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