「日韓合併祈念」。そう刻まれた手水(ちょうず)鉢が津波で流された神社の敷地から見つかったのは、2年ほど前のことだったという。
福島県双葉町の「中野八幡神社」。東日本大震災に原発事故が重なり、周辺の浜野地区には12年余り、誰も住んでいない。ふるさとを追われた町民は「せめて皆が集える場所」をつくろうと、神社の再建を進めている。
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手水鉢には、寄贈した町民の名前も彫られていた。1910年に始まった日本の植民地支配を、遠く離れた双葉町でも祝っていたようだ。
見つけた町民は、ばつの悪さを感じたという。神社の再建に、在日韓国人の1級建築士が協力していたためだ。神戸市長田区の曺弘利(チョホンリ)さん(70)のことだった。
今年4月、曺さんは住民から手水鉢の存在を明かされた。
「正直、複雑な気持ちだった」。周囲から「(神社の再建を)やめるの?」と聞かれたが、「それとこれとは話が別」と即答した。
「それにしても、神社の本殿も鳥居も流されているのに、なんでこんなもんだけ残っとるんや?」。「せっかくだから」と、手水鉢を囲う柱と屋根をつくり、梁(はり)の正面を赤と青に染めた。韓国旗をモチーフにしたつもりだった。「だれも気付かんやろけどな」と、笑ってみせた。
被災の村「初の外国人」
曺さんは1995年の阪神・淡路大震災に見舞われ、神戸市内の建築事務所が全焼している。ふるさとや居場所を失うつらさを味わった。
それ以降、災害が起きた場所を頻繁に訪れるようになった。「困った人の支援ではなく、復興に一緒に参加する」のが信条だ。得意の水彩画で被災した様子や、被災する前の街並みなどを柔らかいタッチで描き、被災者に渡している。
中越地震(2004年10月)により一時全村民が避難した新潟県の旧山古志村(現長岡市)には、住民票を約1年間移した。
阪神大震災で嫌な思い出があ…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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