宮城県栗原市の東北道で16日夜、路肩付近に停車中のバスにトラックが衝突し、ネパール人留学生2人とバスを運転していた日本人女性が死亡した事故。
当時、バスにはネパールとバングラデシュ国籍の留学生40人が乗り、バイト先の岩手県一関市の建材工場に向かっていた。
18日、取材に応じた20代のネパール人男性は、同じバスに乗り、亡くなった留学生2人の友人だった。出発時からバスに「違和感」があったという。男性は口早に、主に英語で当時の状況を振り返った。
事故発生の1時間ほど前の16日午後7時前。昼寝から起きた男性は、指定された仙台市内の待ち合わせ場所に向かって自転車を懸命にこいでいた。派遣先の工場に向かう送迎バスの出発時間が迫っていた。
仕事は3、4カ月前、派遣会社の紹介で始めた。シフトは週3日。午後7時前に仙台市内で送迎バスに乗り、1時間ちょっとで工場に着く。午後9時に働きはじめ、仕事は午前6時半に終わる。
仙台にバスで戻ると、そのまま日本語学校に向かい、午前8時半から正午まで勉強する。
「もちろん、きついですよ」。ただ、日本への渡航費用などで母国の家族は土地を担保に200万円を銀行から借り、業者に払った。生活費は自分で稼ぐ必要がある。「ほかの39人も似たような境遇だったと思います」
仕事は、2~3人一組で1~25キロの窓ガラスを枠にはめ、段ボールに包む作業。時給1400円弱で月給15万円ほどになり、バイトの中では高給な方だった。
だからこそ、遅れるわけにはいかなかった。無事待ち合わせ場所につき、しばらくするとバスが到着した。
見た瞬間、違和感を感じた。初めて見た車両で、これまで乗っていた大型バスと比べて、古くて色があせている気がした。
「こげくさくない?」思い直して一寝入りしたが…
最後部の席に乗り込むと、さ…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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