兵庫県加西市などを走るローカル鉄道、北条鉄道に旧国鉄型車両の「キハ40形」がやってきて1年――。
クリーム色に青地の線、JR五能線時代のデザインで走る姿は多くの鉄道ファンを魅了している。
「キハを呼んだ男」
北条鉄道には市の広報紙でそう紹介される現役運転士がいる。
車両の導入に関わった運転士、坂江大宗さん(26)に、キハ40形が走るまでの舞台裏や今後の展望を聞いてみた。
2020年11月27日。
雪がハラハラと舞う日に、坂江さんは上司と共に秋田市にあるJR東日本の秋田総合車両センターを訪れた。購入を検討していたキハ40形と同じタイプの車両が留め置かれていて、その車両を確認するための訪問だった。
案内されて歩いていった車両センターの隅の方で周りにはさびが目立つ車両も多い中、キハ40形がポツンと置かれていた。まだきれいな状態のままで、すぐにキハ40形だとわかった。初めての対面だった。
「写真でしか見たことのない有名人を見た時のような感じでした。あ、本物や、と」
これまでも車両を探し続けてきた坂江さん。条件にあうタイプの車両と出会う機会はそうそうないことだとわかっていた。
「このチャンスを逃すと次はいつになるのか」
購入の許可が下りるのかどうか、不安もあったがこの車両しかない。何としても連れて帰りたい。そんな思いを強くしたという。
北条鉄道は、元々3両の気動車を所有していた。1日に1両が単線を往復し、次の日は違う車両が往復。また次の日は違う車両と、その繰り返しで運行していた。
運行本数を増やして、通勤客らの利便性を高めたい。
そのために、路線の中間にある法華口駅で車両の行き違いができる設備(線路)をつくることになった。2両を同時に走らせることで、これまで1時間に1本だった本数を30分間に1本走らせることができるように。
でも一つ問題があった。
今ある3両のままだと、故障や長期検査などがあったとき、予備の車両がなくなってしまう。不測の事態があった場合、走らせる車両が無くなってしまい、結局、乗客に迷惑をかけることになる。
もう1両、車両が欲しい。
予算の中で可能な条件だったのが、JR東日本が所有する中古車両「キハ40形」だった。
当初は、古い車両であることを不安視する声もあった。しかし、最終的には、加西市も補正予算を組み、キハ40形を北条鉄道に迎え入れることが決まった。募集したクラウドファンディングでも、改造などに向けた資金が想定以上に集まった。
21年12月11日の深夜。その年の3月に五能線の運行を終えたキハ40形が、クレーンでつり下げられ、北条鉄道の線路に初めて乗った。車庫に入ったキハ40形を見たとき、「やっと来た」という思いと「これで仕事がいったん落ち着いた」という安心感が坂江さんの心に湧いてきた。
キハ40形は、北条鉄道が運行している富士重工業製の軽快気動車フラワ2000形と違い、運転席の位置が高い。車両自体も重い。
「運転の感覚が全部違うんで、悩みました」
背が高い分、横揺れが大きく、車両が重たい分、加速には時間がかかる。ブレーキをかけるためのハンドル動作や構造自体も違う。同僚の運転士たちとデータ測定のための試験走行も兼ねて夜な夜な終電後の線路でキハ40形を走らせてブレーキ動作などを練習し、体にその感覚を覚え込ませた。
坂江さんにとって忘れられない光景がある。
正式な運行が始まる2週間ほど前に、イベント用の列車として臨時運行することになった。北条鉄道の線路を初めて、日中にキハ40形が走る。
翌年2月末の寒い日だった。同僚と一緒に運転席に乗り込んだ坂江さんは、出発地の北条町駅構内を出てすぐ目に飛び込んできた光景に、驚いた。
今まで見たことのない数の鉄道ファンがキハ40形にカメラを向け、そして沿線の人たちまでもが集まって手を振っていた。
臨時運行のため、走る時間は公式には発表されていない。それでも寒い中、待ってくれていた。こんなに期待されていたんだと驚いた。
「お客さんのことを思って色々と仕事せなあかんなって思いました」
あの日から、もうすぐ1年。
キハ40形のことをもっと知ろうと、40年ほど前の教科書を見ながら坂江さんは変速機や配管のことなどの勉強を続けている。日々の点検も、他の車両にも増して特に細部までこだわってメンテナンスする。
いつかは走れなくなる日が来ることもわかっている。だが、その日まで「日常を大切にしたい」と坂江さんは思う。
「普通に何事もなく走ってくれたら。個人的にはいつまでも走らせたいですね」(白井伸洋)
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル