「クビ!クビ!」 教室で合唱…新人だった僕は1カ月で学校を休んだ

 自転車のペダルをこいでもこいでも、トンネルの向こう側が見えてこない。

 毎日の通勤で通い慣れた200メートルほどの地下道が、いつにもまして薄暗く、長いものに感じられた。

 まるでいまの僕自身を象徴しているみたいやないか……。新人の小学校教員だった久保敬(たかし)はそんなことを思いながら、ジーンズをはいた両足でペダルをこぎ続けた。

 5月半ばの朝早くのことだった。

 そのたった5分前、「逃げたらあかん」と気持ちを奮い立たせ、自転車にまたがったばかりだったのに。    

 時は1985年。桑田真澄清原和博を擁する大阪のPL学園高校野球部が夏の甲子園で優勝し、阪神タイガースが日本一になった。バブル経済の始まりとなった「プラザ合意」が結ばれた年でもあった。

 そんな年の春先、当時23歳の久保は大学を卒業し、大阪市内の公立小学校で教員生活をスタートさせていた。

 小学校教員を志す決め手になったのは、高校時代に放送されていたテレビドラマ「熱中時代」だった。水谷豊扮する主人公の小学校教員は、時々大きな失敗もするけれど、いつでも子どもの側に立ってくれる人気者。その「熱いハート」に憧れた。

 そんな久保は始業式前からやや浮かれていた。「担任する5年2組はやんちゃぞろいだよ」と先輩から聞かされたときも、むしろ張り合いがあってよいと受け止めたくらいだった。

 しかし、現実は甘くなかった。授業初日の朝から、あいさつをめぐって子どもたちともめた。

「なめられたら終わりだ」

 いつまでもうろうろと教室を…

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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