「クリニックに通ってたんやで」 音楽教諭は放火事件後に語り始めた

 夕方過ぎの職員室大阪市立中学校の音楽教諭、山元美穂さん(58)は顧問を務める吹奏楽部の指導を終えて自席に戻り、ズボンのポケットからスマートフォンを取り出した。

 大阪市の繁華街・北新地で大きな火災があったというニュースの通知が昼間から何度も画面に表示されていた。飲食店かなと思ったが、がくぜんとした。現場は山元さんが約2年半通ってきたクリニックで、この日も勤務後に訪れる予定だったからだ。

26人が犠牲になった2021年12月17日の大阪・クリニック放火殺人事件。山元さんは翌日、通い慣れたビルへと向かいます。自身が通院していたことについて、同僚や生徒には知らせていませんでしたが…。

 京都府内の中学校に勤めていた2019年6月ごろ、職場の人間関係に悩み、朝起きるのがつらくなった。いくつかの心療内科を受診し、たどり着いたのが、西沢弘太郎院長(当時49)が経営する大阪市中心部のクリニックだった。

 いつも混み合っていた待合室。名前を呼ばれ、診察室へと向かう通路からは、職場復帰をめざす人たちがグループワークに励む姿が見えた。

 診察室の西沢院長は、山元さんが身の回りの出来事などを報告すると、「ほんまに」と相づちを打ちながら、話を聞いてくれた。

 いまの学校に移ってからも毎月通った。スーツ姿のサラリーマンが多い待合室で、聞き取れないくらいの早口で患者の名前を呼ぶ西沢院長の放送を耳にするのが、ひそかな楽しみだった。

 白衣姿の笑顔と悲惨な火災とが結びつかなかった。

 翌日、クリニックへ向かった。見慣れたビルに張られた規制線や集まる報道陣を見て、現実なのだと思い知らされた。

 花束を手向けると、30人ほどの報道陣から声をかけられ、カメラを向けられた。

 これまで、クリニックに通っていることを同僚や生徒に伝えてはいなかった。

 以前の職場で、心の病で休職中の教師のことを生徒が批判するのを聞いたことがあった。わざわざ明かす必要はないと考えていた。

 ただ、クリニックへ向かう途中、「医者もスタッフも態度が悪いから、こんなことになったんだ」などとネット上に書き込まれているのを目にした。

 「違う」

 クリニックを知る人間として、そう言いたかった。

 報道陣に向かい、「私は西沢…

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

Japonologie:
Leave a Comment