プロ野球オリックスが30日、26年ぶりの日本一に輝いた。オリックスファンが集まる大阪・道頓堀のすし店「おの冨久(ふく)」では、日本一が決まった瞬間、テレビを見つめていた客が立ち上がって歓声を上げた。
店主の小野雄一郎さん(52)は「もう感無量。そのひと言に尽きる。今日は優勝を決めると確信していた。初球ホームランに五回に4点の追加点の流れは完璧だったが、最後に追い上げられてすんなり勝たせてもらえないところが、オリックス・バファローズらしかった」と喜んだ。先代の父、利雄さん(82)が熱烈な近鉄バファローズファン。1970年に創業し、近鉄ファンが集まる店として有名だった。
2004年に近鉄とオリックスが統合。店もバファローズの名前を引き継いだオリックスを応援してきた。「生まれてからずっと近鉄を応援してきたので、統合には複雑な思いがあった。今は仲間のファンもたくさんいて、『僕はオリックス・バファローズファン』と胸を張って言える。近鉄魂も残っているので、バファローズとして初めて日本一になったことも嬉しい」
第5戦でサヨナラ本塁打を放つなど、4番として日本一に貢献した吉田正尚選手の地元・福井県でも、かつての指導者らから喜びの声が上がった。
吉田選手が中学の時に所属した鯖江ボーイズの佐々木昭弘監督(56)は「サヨナラホームランがチームの流れを変えた。昔からチャンスに強い子だったので、やってくれると思っていた」。
中学時代にコーチとして指導したが、「とにかくまじめで練習で手を抜くことがなかった」。身長173センチとプロの選手としては小柄な吉田選手。中学生当時も体格はごく普通だったが、「大きい人には負けたくないという気持ちを感じた。フルスイングで、打球の速さ、飛距離とも段違いだった」と振り返った。
練習していたグラウンドは両翼91メートルだが、あまりに場外への打球が多いため、ライトフェンス奥にネットが増設されたという。
「これからも自分の夢を追っていってもらいたい」
敦賀気比高校野球部時代の監督だった林博美さん(64)も「シリーズ通じて存在感があった。ホームランはすばらしいというしかない」と喜んだ。
吉田選手は1年生の春から4番に定着。「スイング、当たった時の音が全然違った。2、3年生も彼には劣っていた」
3年の時は調子を落としていたといい、林さんは「指名されても上位では取ってもらえなかっただろう」と話す。
同校から青山学院大に進学し、ドラフト会議でオリックスに1位指名された。「大学に行ったことは大正解だった。広角に打てるバッターにさらに成長していってもらいたい」(柳川迅、向井光真)
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル