新潟県上越市は、同じ名前の新幹線が止まらない街です。有名な観光地があるわけでもなく知名度はいま一つですが、誇れるキャッチフレーズがあります。それは「日本のスキーが始まった地」なのです。
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この国のスキーの始まりを知るにはここしかない。新潟県上越市の「日本スキー発祥記念館」。入館すると、軍服をまとった人物像が迎えてくれる。テオドール・エドラー・フォン・レルヒ少佐。上越では今も親しまれる「レルヒさん」だ。
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「レルヒさんによって、高田にスキー文化が花開きました」。解説をお願いした市立歴史博物館の学芸員、荒川将さん(40)がにこやかに言った。
まず歴史を振り返ろう。オーストリア・ハンガリー帝国の軍人だったレルヒさんが来日したのは1910(明治43)年11月。04~05年の日露戦争で大国ロシアを破った日本陸軍の調査が目的だった。なのに、なぜか、ふた組のスキー板を携えていた。荒川さんは「日本の雪を滑ってみたかったのかもしれませんね」と話す。
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レルヒさんが「伝道師」になるには二つの幸運が重なった。一つは配属先が豪雪地帯の旧高田町(後に旧高田市、現上越市)にあった陸軍13師団だったこと。もう一つは師団長が「プロペラひげ」で知られる長岡外史(がいし)(1856~1933)だったことだ。
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欧州留学の経験からスキーに理解のあった長岡の下、レルヒさんが13師団歩兵58連隊の将校14人に1本杖のスキーを指導したのは11年1月12日。この日が「日本スキー発祥の日」とされている。
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だが、この日の講習会場は兵営の庭。今は市立城西(じょうせい)中学校がある平地だ。将校たちは斜面を滑っていなかった。「スキーの着け方などを教わったのです」と荒川さん。発祥の日とは「日本人がスキーに触れた日」なのだ。ちなみに将校たちが「大日本スキー発祥之(の)地」の石碑がある金谷山を滑ったのはその2日後の14日だった。だけど……。
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「発祥の地」でなく「伝来の地」なのか
インターネットのグーグルで「スキー発祥の地」と検索するとギョッとする見出しが上位に出てくる。
「〈提言〉上越は日本スキー『発祥の地』じゃないよ」。ネットニュースサイト「上越タウンジャーナル」の10年前の記事だ。
記事は言う。「スキーとスキー…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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