今から40年以上前、斉藤和子さん(64)は都内のアパレル関係の会社に就職した。
店員からスタートし、バイヤーとして買い付けも経験。
いずれはスタイリストになりたい、と思っていた。
5年ほど経って業界に詳しくなったころ、スタイリストの給料の低さを知って戸惑った。
当時は職業としてそれほど認知されていなかったし、手取りが少なくなるのは仕方がない。
でも、宮崎から上京してきて家賃も払わなきゃいけないしなぁ……。
どうしたものかと思っていた時、実家から電話がかかってきた。
父が体調を崩したので地元に戻って働いてほしい、とのことだった。
「ここはいったん宮崎に帰って、いずれまた上京しよう」
そんな思いで帰郷したが、再び東京で働くことはかなわなかった。
両親が猛反対したからだ。
県庁や図書館の短期契約職員となり、地元のブティックでも働いた。
だが、どうしても東京と比べてしまう。
交通の便の悪さや、テレビチャンネルの少なさなど、何かと不満を感じてしまった。
27歳の時、地元で出会った男性と結婚。
娘を産んで、専業主婦になった。
娘が高校生になったころ、かつて一緒に働いていた友人からこんな誘いがあった。
「宮崎市内にスターバックス…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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