「チマチマしたワクをぶち破れ」 いまこそ響く岡本太郎の言葉と情熱

 「ベラボウ」「芸術は爆発だ」――。

 絵画や彫刻、「太陽の塔」など幅広い芸術で知られる岡本太郎(1911~96)は、多くの言葉を残した芸術家だった。そして、その言葉は今も生き続けている。

 「日本人に今もし欠けているものがあるとすれば、ベラボウさだ。チャッカリや勤勉はもう十分なのだから、ここらで底抜けなおおらかさ、失敗したって面白いじゃないかというくらい、スットン狂にぬけぬけした魅力を発揮してみたい。日本人の精神にも、そういうベラボウなひろがりがあるんだ、ということをまず自分に発見する、今度の大阪万博が新しい日本人像をひらくチャンスになればうれしい」(67年8月5日付朝日新聞)

 70年、大阪府吹田市千里丘陵を会場に、アジアで初めて開かれた大阪万博。テーマ館のプロデューサーに就任した岡本は万博を前に抱負と構想を語っていた。

 原色を生かした生命力あふれる絵画や造形で、戦後の美術界に新風を吹き込んだ岡本は当時、超多忙な有名人だった。一方で、不屈の前衛精神を貫く、異端児でもあった。

日本人のモニュメント「太陽の塔」

 そんな岡本が生み出した太陽の塔は、万博のテーマ「人類の進歩と調和」を表現するテーマ館として建てられた。

 高さ70メートル、腕の長さ25メートル、三つの顔。いったい何を表しているのか分からない。異様な風貌(ふうぼう)は、西洋や日本の芸術の伝統や基準から外れ、世界を見渡しても類例のないものだった。

 太陽の塔は、世界的建築家の丹下健三が設計した万博のシンボルゾーンの「大屋根」を突き抜いて立っていた。刺激的なその光景は万博随一(ずいいち)のアイコンとなり、人々の脳裏に刻まれた。

「ベラボウ」だった太陽の塔。いったい何を表しているのかは分かりませんが、大阪万博後も様々な影響を及ぼしていきます。記事後半では、岡本太郎が朝日新聞紙面で語っていた太陽の塔への言葉の数々を紹介します。朝日新聞フォトアーカイブ(https://photoarchives.asahi.com/)収録の写真とともに、人間・岡本太郎に迫ります。

 「太陽の塔はあの時代の日本…

この記事は有料会員記事です。残り2652文字有料会員になると続きをお読みいただけます。

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

Japonologie:
Leave a Comment