「ノー」と言って消えた英国人捕虜 形見の半纏手に娘が足跡たどる

 一着の古びた半纏(はんてん)が9月の半ば、78年ぶりに山深い長野県天龍村へ返ってきた。戦争中に村で労働を強いられた英国人捕虜が持っていたものだ。遺品となった半纏を携えて英国から来日した娘が、父の足跡を追った。

 着込まれた紺色の半纏をキャロライン・タイナーさん(74)が、原田馨さん(63)=同県阿南町=に着せかけ、2人は満面の笑みで抱き合った。天龍村で14日に開かれた半纏の「返還式」。馨さんの祖父、原田源燈(げんとう)さん(1900~70年)が45年、終戦で帰国する英国人元捕虜のチャールズ・ウィリアムズさん(18~94年)に贈ったものだ。

 娘のキャロラインさんは「戦争は悲惨な傷ばかり残したが、この半纏は思いやりや友情という真実の証し。お返しすることで人間の善意を末永く伝え、新たな世代の友情につなげたい」と話した。

 村には戦時中、東京俘虜(ふりょ)収容所第三分所(後に第二派遣所、第十二分所へ改称)、通称・満島収容所があった。村によると英米を中心に延べ約300人の捕虜を収容、56人が病気などで死亡した。戦後、関係者はBC級戦犯を扱った「横浜裁判」にかけられ、軍属として捕虜を監視した村民1人が死刑を執行された。

 ウィリアムズさんら捕虜は天…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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