「パルナスの母」が教えてくれたこと レシピや飾り付け、そして

 「モスクワの味」のキャッチコピーとロシア民謡調のCMで関西人に親しまれた「パルナス製菓」の創業者宛ての、約40年にわたる手紙の束が見つかった。差出人は、同社に技術指導し「パルナスの母」と呼ばれたロシア人女性。ケーキのレシピや飾り付け方から愛する肉親の死の知らせまで、東西冷戦期の壁を越えた心の交流が浮かび上がる。

ガガーリンの記念ケーキも手がけた職人

 手紙の差出人のエフドキヤ・オージナさん(1918~2006)は、旧ソ連最大の国営菓子メーカーだったモスクワの「ボリシェビク製菓工場」を代表する菓子職人。ケーキやピロシキを生産したパルナスへの技術指導で2度来日した。宇宙飛行士ガガーリンや、ソ連最高指導者フルシチョフやブレジネフへの記念ケーキも作り、1971年には経済や文化で傑出した業績に贈られる「労働英雄」の称号を受けている。

 52年にパルナス製菓の会社を設立した古角(こかど)松夫さん(1923~2004)は、56年の日ソ共同宣言で国交が回復した直後の57年夏、冷戦時代鉄のカーテンを超えてオージナさんの元で技術を学んだ。

 古角さんは生前、兵庫県加西市にパルナスゆかりの品々を寄贈した。同市の会社員藤中健二さん(57)が4年前に「パルナス復刻委員会」を立ち上げて「発掘」を進める中で、オージナさんの手紙が眠ったままになっていることが分かった。

 現在、加西市が保管する手紙の束を記者が見せてもらうと、封筒や中身だけのものもあったが、手紙は全部で85通ほどあった。大半は直筆のロシア語で書かれ、一部には通訳者が日本語に翻訳したものが同封されていた。年月が特定できたものに限れば、文通は1961年から2000年まで約40年に及んでいた。

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 文面からは2人の心の交流が…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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