「初めてパンの生地を触った時に、子どものほっぺたのような感触で、とっても癒されて、それで(パン作りを)始めたんです」
東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県気仙沼市。港から5キロほど離れた山間・田尻沢地域に、小さなパン工房「いずみぱん」があります。経営者の水野いずみさん(42)は、2011年3月の東日本大震災が起きた時は、北隣の岩手県陸前高田市の市職員でした。なぜパン作りに行き着いたのでしょうか。
迫った津波の“黒い壁”
「あの時」、水野さんは海から約1.5キロ内陸にあった陸前高田市の市役所庁舎にいました。庁舎は、3階建てと4階建てが組み合わされた建物でした。午後2時46分、陸前高田は震度6弱の大きな地震に襲われました。水野さんは、大きな地震があれば津波が来ることを予想していたと言います。
「津波が来ることは間違いないとは思っていました。1960年のチリ地震津波では、市街地にも津波が来て床上浸水があったという語り継ぎは聞いていました。でも、想定をはるかに上回る津波で、あんな規模が来るとは頭の片隅にもありませんでした」
過去の教訓を踏まえ、震災前に市内の比較的海岸に近い地区に家を建てた際にも、備えをしていました。
「震災の1年2か月前に自宅を新築しましたが、チリ地震のことを想定して1m程度の盛り土をしたんです。それだったら津波が来ても床下浸水くらいで済むよねって。それくらいの感覚しかなかったんです」
水野さんは、3月11日の午後3時過ぎ、庁舎の屋上で監視に当たっていた同僚の叫び声を聞き、階段で3階の屋上に駆け上りました。そこから見た津波は、「水には見えなかった」そうです。
「波ではなかったですね、壁です。まっ黒い壁が、自分たちの立っている屋上と同じ高さの壁が、一気にやってきたという感じでした」
その津波は、陸前高田の沿岸部を飲み込み、市庁舎に迫りました。そして、3階建て部分の建物の屋上にいた水野さんの足もとも水に浸りました。現実のものとは受け止めにくい光景を目の当たりにし、どれくらいの時間が経ったのか。4階建て庁舎の4階の部屋に移り、職員や避難してきた人々とともに一晩過ごしました。
【関連記事】
Source : 国内 – Yahoo!ニュース
Leave a Comment