「一生に一度」「タダで見られる」札幌、マラソン沿道に群がる人

 世界の一流ランナーが、札幌市中心部を周回する42・195キロを駆け抜けた。7日午前6時にスタートした東京五輪女子マラソン。大会組織委員会などは新型コロナウイルスの感染が急増しているとして沿道での観戦自粛を呼びかけたが、あちこちで人が集まり、「密集」は避けられなかった。約3時間に及んだレースを見つめた人たちに思いを聞いた。

 5時45分 発着地点の大通公園周辺には、すでに人が集まっていた。千葉県の会社員男性(57)は午前5時に来た。「観戦自粛は知っているけど、一生に一度の機会だし、タダで見られる」。東京五輪は、コロナ下での開催をめぐり世論が二分した。男性は「賛否両論あるが、選手を見ると勇気が出る。頑張っていこうという目標になるものが開催されたのはよかったのでは」と話した。

 6時 88人の選手がスタート。近くの歩道では「五輪は中止!」の横断幕を掲げた男女5人が「五輪よりも新型コロナ対策を」と訴えていた。参加した市内のタクシー運転手河野晃興さん(59)は「人流が増えれば、コロナの感染者も増える」と危ぶむ。

 6時15分 大通公園西11丁目の五輪モニュメント近くを、選手の大集団が走り抜けた。高まる拍手。「がんばれ」「ありがとう」と声援が飛ぶ。五輪日本代表のユニホームを着た東京都の会社員男性(44)は、5日に飛行機を急きょ予約した。「テレビを見ていて居ても立ってもいられず来てしまった。やっぱり五輪は最高ですよ」。選手を追ってレンタサイクルをこいで南方面へ走り去った。

 6時30分 選手が走り去ると、西11丁目付近は観戦者たちも移動し、いつもの早朝の風景に戻った。立ち入り禁止のバリケードも早々に撤去された。日課の散歩中だった市内の自営業男性(62)は「選手はもう行ってしまったの? 早いね」と驚いた様子。小学生の時の1972(昭和47)年、札幌冬季五輪アイスホッケーを見に行った思い出がある。札幌市は2030年に、2度目の冬季五輪を招致することに意欲的だ。「経済を回すために必要ならやればいい。ただ、カネがかかる五輪は市民としては歓迎しないね」と冷めた表情で話した。

 6時20分 ススキノを駆け抜けてきた選手の集団が、豊平川にかかる幌平橋を渡った。午前5時から橋の上で国旗を持って応援していた東京都の50代男性は「1964(昭和39)年東京大会で優勝したアベベ選手(エチオピア)や円谷幸吉選手(銅メダル)の活躍を聞き、ぜひ見たかった」。幌平橋を選手が通過するのは1回きりで「密」が避けられると思ったが、ここも大勢の観戦者がいた。男性は「自粛を呼びかけながら大会を開催するなんて二枚舌だ。だから誰も緊急事態宣言の対策を守らないのでは」と話した。

 6時35分 10キロ地点の平岸通。近くの女性(73)が小学3年生の孫娘と一緒に来ていた。五輪を生で見るのは64年東京五輪、72年札幌冬季五輪に続き3回目。冬季五輪では選手村でボランティアをした。「感激しました。男子マラソンも見に来ます」

 平岸通沿いでカレー店を営む三田村誠也さん(33)は、午前6時に店を開けた。朝営業は、コロナの影響で減った売り上げを増やそうと、6月から平日に始めた。男女のマラソンのあるこの土日は朝も営業することにした。「多くの人が見に来るかと思っていたが、それほどでもなかった。接客で、選手の姿はあまり見られませんでした」

 6時55分 先頭集団が、創成川通沿いの幌北小学校付近を通過した。

 沿道から拍手を送っていた女性(74)は「自宅でラジオを聞いて、選手が近くまで来たので家から出てきた。五輪を見られる人生で最後のチャンス。どうしても見たかった。国籍も肌の色も違う選手たちが一緒になって競う姿に感動した。やっぱり五輪はいいなと感じました」。

 通り沿いに住む自営業の伊藤聡さん(57)は「がんばれ日本」と書いた手作りの看板をベランダにかけて応援した。「コロナ禍で大声で応援できない。選手にエールを送るにはこれしかないと思って」。マラソン歴20年。沿道の声援が力になるのは実感している。「本当は道路に出て大声で応援したいんだけど」

 7時10分 コース北端となる宮の森・北24条通を選手たちが通り過ぎた。近くの小畠信男さん(83)は妻と一緒。「初めての生の五輪。コロナは気にはなるが、家の近くを走るので絶対見たいと思った。テレビで見るのと全然違って、思わず手をたたいた」

 紋別市から来た釜谷良範さん(69)にとってここは、かつて「北海道マラソン」で走ったコース。「思い入れのある場所。あの時の応援が励みになったので自分も応援したいと思った。テレビではトップの方しか映らないが、生で見ると最後の方で頑張っている選手が見られるのがいい」

 7時30分 選手は北海道大学構内を走り抜け、再び公道へ。道庁赤れんが庁舎の脇を通り、正門から次々と出てきた。同じころ、出勤途中で札幌駅方向へ行こうとしていた市内の会社員女性(27)は、正門前の道路が通行止めで横断できないのを知り、大会スタッフに迂回(うかい)路を尋ねた。札幌駅前通周辺も人だかりができていて、両手で頭を抱えた。「会社に遅れちゃう。五輪なんて興味ないし、そもそも見て楽しむほど時間に余裕ないし。五輪なんて迷惑以外の何物でもない」

 8時25分 大通公園と札幌駅前通に面した道銀ビルディング前は、ゴールする選手が見える格好の「観戦ポイント」とあって、幾重もの人垣ができていた。フィニッシュが近づくにつれ、密集状態はピークに。「立ち止まらないでください」「通路を空けてください」などと呼びかける大会スタッフに従う人はおらず、人はどんどん増えていった。その様子を眺めていた女性(58)は「あの中にはさすがに怖くて入れません」。

 8時30分 8位入賞した一山麻緒選手が大通公園のゴールゲートをくぐった。東京から姉妹で来た会社員女性(24)は「この炎天下で走りきったのはすごい」と選手たちをたたえた。観戦自粛の呼びかけは「パフォーマンスで意味がない」。大学生の妹(20)も「やってる感をアピールしなくちゃならないから形だけでは」と冷ややか。

 8時45分 ゴール付近に国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長が姿を現した。沿道の観戦者に声をかけたり手を振ったりして、上機嫌の様子だった。

 9時 最終ランナーが札幌駅前通をゴールに向けて走り抜けていった。「ファイト!」「がんばれ」。選手が通過するたび、そこここで声援が上がった。選手が笑顔で手を振ると、ひときわ大きな拍手と声援がわき起こった。

 同じころ、メダリストの記者会見が行われていた。銅メダルを獲得したアメリカのモリー・セイデル選手は観客への感謝を口にした。「観客がいないなかで走るのは楽ではないが応援してくれたのは大きかった。札幌の皆さんに心から感謝したい」

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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